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ぷらさん亭

Author:ぷらさん亭
バリ島で娘一人、息子一人、旦那とその両親+犬、猫、庭のジャングルにいる様々な動植物と一緒に暮らしています。
獅子座・A型

UBUDで宿を始めました。
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バリ人のお宅に滞在する際の注意すべきこと。

今日はバリのお家について。

バリ島内の高いパーセンテージを占めるバリ人は、バリ・ヒンドゥー教を信仰する家庭に住んでいます。
各家庭の敷地の一番神聖な場所(アグン山のある方向)には、必ず家寺があります。
そして敷地の中ほどには、トゥングン・カランという敷地を守護する祠、家の敷地内に川がある場合は、その為の祠があります。
お寺の無いバリ人の家、というのは存在しません。
日本仏教的に言うならば、バリの家は全部お寺で、バリ人というのは、全員が住職さんとその家族、なのです。

各家庭の敷地全体がお寺になっているので、バリ人のお宅にお邪魔する時、長期で滞在するような時は、若干の注意が必要です。

まず、家寺に入るときは必ず体を清浄な状態に保たなければなりません。生理中・出血中の人は入れませんし、入る前は身を清めます。お寺に入るとき、お供え物などに触るときは、必ずサロンと帯を着用します。
訪問先の家寺に入る場合は、必ずそこのご主人に許可をもらって、身を清めたのちに入るようにしてください。異教徒が入れない訳ではなく、作法をわきまえていない人が人が入るのがご法度なのです。
家寺は祈りの場であり、その家の先祖霊を迎える場であり、バリの人々にとっては一番大切な場所なのです。


sangah3.jpg
チャンディ・ブンタルと呼ばれる、割れ門がお寺への入り口です。正面に見えているのはサラスワティを祀るタクスの祠。

バリでは人体においても、一番高いところが神聖で、下へ下がるほど不浄、です。下半身は体の部位的には不浄ですので、敷地内の一番神聖な場所、家寺は、人体における頭の部分に当たります。

それを知っていれば、日常生活の場においても、浄・不浄の感覚が、おのずと分かってくるかと思います。

神聖なもの(お供え物関係、神具、本など)はなるべく高い位置、下半身に身に着けるものはなるべく下のほう。
頭に着けるヘルメットや帽子などは地面に絶対置かない。
または、下に落ちたものや置いてあるものを人に差し出さない。(お祈りで使い終わった花は下に捨てて二度と使いません。盆にも戻しません。)
神聖な頭は、神聖な方角であるアグン山に向けて寝る。神聖な方角に絶対足を向けない。(バリ島内では、ベッドの位置はかならずアグン山を意識して設置されています。)

それでいくと、洗濯物の干す場所や位置にも注意が必要なのが分かってきます。
下半身に着けるものは、腰より高い位置に干さない。これ鉄則です。
子供の服はこの限りではありませんが、生理の始まった女子の下半身に身に着けるものは特に注意が必要です。(経血は不浄なものとされています。)
よくホテルの部屋の入り口近くに洗濯物を干している、しかも高い位置にズボンなどを吊り下げている観光客を見かけますが、そうすると、バリ人であるスタッフはそこを通れませんので、お部屋のクリーニングなども困難である、ということを分かっておく必要があるでしょう。


sangah2.jpg
これは家寺ですが、大きなお寺の作りも基本的には同じです

敷地全体がお寺である、とは先ほども書きましたが、祠があるところは必ず浄化しておかなければならず、毎日のようにそこにお供え物をするバリ人の邪魔にならぬよう、祠への道筋(参道にあたりますね)上に洗濯物を干したり(特に下着や靴下、靴、ズボン、スカート、サロンなど)、汚いものを置いたりしてはいけません。

sangah1.jpg

こうやっていろいろ書くと窮屈そうに思われるかもしれませんが、異なる生活習慣の国で過ごす際に、相手へのリスペクトを忘れないという最低限のマナーの話です。
分からなければ聞けばよいのですが、こういう話はなかなかバリ人側からは言い出しにくい話ですので、記しておこうと思いました(^^)

皆様、楽しいバリ旅行を!
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ガルンガン~真実と正義の勝利の日。バリ・ヒンドゥー教徒にとっての、ウク歴の集大成の日~

 引き続き、バリの宗教や文化や習慣について、以前書いた記事のリライトです。
今回は、時節柄、「ガルンガン」。


 ガルンガン、という祭日をご紹介します。
一般的に、神となった祖先の霊が家族の元を訪れる日、日本で言えば「迎え盆」のような行事と紹介されている「ガルンガン」ですが、バリ・ヒンドゥー教の教義に照らして言えば、正義の勝利を意味する、神聖な日である、ということになります。そして、ガルンガンの何日か前からガルンガンの翌日まで、関連した儀式の日が連続して続くのですが、これは抜かしたり省略したり出来ません。そう、実際は、一日で終るものではなく、5日ほど前からの前準備の儀礼も含めて、「ガルンガン」と呼ばれるのです。

まず、「ハリ・スチ・スギアン」という、ガルンガンに向けて準備を始める日から始まります。家寺や神聖な場所、各建物の清掃、そしてガルンガンの儀式に使うものの手入れを行い、家寺に「バンタン・ソド」という小さい供物を捧げ、祈ります。
これは、サンガやムラジャンと呼ばれる家寺がシンボライズしている、「大自然・この世界」を浄化する、という事であり、ひいては自分自身の浄化に向けて、準備を始める、ということなのです。「真実・正義」の勝利の日であるガルンガンには、この地球上の全存在が清浄な状態でなければなりません。でも、動物や植物には思考力も判断力もありません。ただひとり、「人間」だけが能動的、主体的に「浄化」について行動を起こすことが出来るのです。スギアンの日はそういう心構えで、各家寺で祈りを捧げる日なのです。

ガルンガンの3日前はガルンガンに向けて、準備が万端、整っている状態を指します。また、この日は「サン・カラ・ティガ」という悪霊が地上に降りる日でもあります。

パサール(市場)は、ガルンガンに向けてお供え物の果物や、ブスンなど必要なものを買い求める人々でごったがえします。余談ですが、バリ島では、こういう祭日が近づくと、果物やブスン(椰子の葉)など、絶対に必要なものは、値段が吊り上ります。値段を上げても絶対に売れるので、ここぞとばかりに売り手は商売に励みます。主婦達は少しでも安く、いいものを求めて、あちこち走り回ります。

この日になると、男連中が、そろそろ「ペンジョール」と呼ばれる、竹で作るお飾りのようなものを準備し始めます。
ペンジョールは、寺院での儀礼の際に門の前に立てたり、ガルンガンの祭日に家々の前に立てるもので、バリ・ヒンドゥー教の唯一神、サン・ヒャン・ウィディ神に対して、感謝の念を表すものだそうです。一説には、ペンジョールは、アグン山に住むとされる龍の神、バスキ神を象徴するとも言われています。バリ・ヒンドゥーの総本山、「ブサキ寺院」は、「バスキ神のいます所」という意味で、ペンジョールの椰子の葉の飾りは龍の背びれを表し、竹の先にぶら下がったサンピアンが龍の尾を表しているそうです。

このペンジョールを作るのは、おもに男性の仕事とされており、丁度いい形の竹を探して切り出し、あるいは買いに行き、それぞれ工夫をこらして飾り付けをしていきます。ガルガンの前日までには家の前に立てなくてはならないのですが、早々と立てる家もあれば、ぎりぎりまで大人も子供も一緒になって準備しているところもあったりと、なんだか日本の大晦日の風景に似ていなくもなく、微笑ましい光景です。
このペンジョールは、村ごとに飾りつけが微妙に違っていたり、豪華さを競い合ったりと、なかなか見ていて飽きないものです。バンジャールによっては、このペンジョールの素晴らしさを競う催しがあり、上位入賞者には賞金が出るそうです。このペンジョールが立ち並ぶガルンガンの朝に、大通りを歩くと、その美しさに目を見張ります。

そのペンジョール、一体何がぶら下げられているのかというと・・・
本体の竹(マヘソラ神)
白い布(イスワラ神)
米の菓子(ブラフマ神)
ココナツの実(ルドラ神)
椰子の葉(マハデワ神)
葉っぱ類(サンカラ神)
果物や稲、イモやトウモロコシなど穀物類(ウィシュヌ神)
さとうきび(サンブ-神)     *( )内はそれぞれ象徴している神の名

ペンジョールはサン・ヒャン・ウィディ神に、すべての災厄、とりわけ飢餓から守ってもらっていることへの感謝の念を表すものであるので、このように様々な大地の実りがぶら下げられているのです。ペンジョールの前には、必ず小さな仮の社(お供え物置き)が設けられますが、このサンガ・アルタ・チャンドラと呼ばれる祠は、先ほど述べた、龍神をシンボライズした龍の頭を表すとも、ブサキ寺院のサン・ヒャン・シワ神を表すとも言われます。

ガルンガン2日前のプニャジャンの日は、サン・カラ・ティガという悪霊の誘惑やそそのかしを、沈思黙考で打ち負かし、克服する日であります。
この日は、サテを作ります。そして、女性陣はガルンガンに供えてのお供え物作りの佳境、男性陣はペンジョールの仕上げや、ガルンガンに使う道具類の準備など、忙しさもまだまだ続きます。そして明日はいよいよプナンパン。

ガルンガンの前日は、「プナンパン」と呼ばれます。
この日は早朝から、「ポトン・バビ」と言って、豚を屠ります。何世帯かでお金を出し合って一頭の豚を屠り、解体して肉を分け合います。分けて持ち帰ったお肉で、早速、ラワールや、煮込み、揚げ物、腸詰ソーセージ、といったものを作ります。
このお肉は、ガルンガンが終って、クニンガンを迎えるころまで、延々と食べつづけられます。だから、なるべく日持ちするように揚げたり、煮込んだり、皮などは天日に干して、あとで揚げて、クルプッと呼ばれるオセンベイのようなものにして食べます。

プナンパン、の本来の意味は、「源泉への復帰」つまり、本来の姿への回帰、というほどの意味だそうです。そして、本来この日に供される「バンタン・トゥバサン」というお供え物には、目に見えるこの世の全ての現象・存在、また、目に見えない世界の存在、そのどちらの世界も、ネガティブなものはポジティブへと転換させ、神の領域と人間の領域、目に見えるものと見えないもの、肉体と精神、を調和・同調させ、バランスを取る、という意味があるのです。この儀式によって、地上に降りてきたサン・カラ・ティガという悪霊は、本来の姿、サン・カラ・ヒタという、神の姿へと戻る訳です。つまり、この重要なバンタンには、「ニュートラル(中立)な状態に戻す」という意味があるのです。

私の住む、ウブドにほど近い村では、プナンパン・ガルンガンの日はバンタン・ソドというお供え物だけ供えます。祭日のお供え物の供え方や、儀式のやり方は、地域によって随分と差があり、全てが全て、同じやり方、同じ意味合い、という訳ではありません。大きな行事の前には、村ごとに「式次第」のような、日程と、揃えるべきお供え物の詳細、などが細かく書かれたものが各家に配られ、村中がいっせいに行事を遂行できるようになっています。なので、この記事は私の住む地域に準じます、ということを、あらかじめお断わりしておきますね!

さて、プナンパン・ガルンガンに戻りましょう。この日はラワールを作り、お供え物をして、明日のガルンガンに向けて、最終仕上げをします。サンガやムラジャン(家寺)や、敷地内の祠に、ワストラという、きらびやかなカイン(布)やラマックで飾り付けをし、吊るし物を吊るし、傘を立てかけ、ノボリを立てます。まさに、「飾り立てる」という形容がぴったりの、この豪華さ!

夜になってようやくお供え物も全て揃い、家寺の「ピアサン」と呼ばれる建物の祭壇にきれいに並べられます。この祭壇には、菓子や果物を積み上げた「グボガン」というお供え物や、新品のカインやスレンダン(腰帯)を重ねて積んだものなどが並べられます。これは、家寺に降臨する神々や祖霊神に対して、様々な食べ物と新しい衣服を供する、という意味で、最上級のおもてなしを意味しています。猫やねずみに荒らされないように、きっちり締め切って鍵もかけるんですよ!これで準備は整い、明日を待つだけ。

このように、何日か前から準備に追われるガルンガンですが、私の住む家は、敷地は普通に大きなバリの家なのですが、家族数が少ないので、いつも人手が足りずに大忙し!おまけに一人息子の嫁が外国人なもんで(私です、すみません)、ほとんど手助けにならないし、毎回、大変そうな姑に申し訳なく思いながら、出来ることだけ手伝っているワタクシなのです。
いつも、夜中12時過ぎまで準備が終らずに、みんなげっそり疲れきる・・・。そんなとき私は、子供のころの大晦日を思い出します。母親が一人で、「ああ終らない終らない!」と言いながら夜中までおせち料理を作っていた姿を・・・。

さて、いよいよガルンガンの日がやってきました!
早朝から、調理したての鶏肉などのお供え物、新しい花々を使ったチャナンをセットして、お供え物の最後の仕上げをします。そして、「サンガ・グデ」と呼ばれる、本家の家寺に、お供え物を持っていきます。また、舅あるいは姑の実家にも、お供え物を持っていきます。  
村のお寺、プラ・ダラムにもお供え物を持っていき、ガルンガンの儀式に使う「ティルタ・聖水」を戴いてきます。この重要な「聖水」で家中を清めるのです。
聖水を戴いてきたら、すぐにお供え物を供え、家族みんなで家寺で祈りを捧げます。うちの家寺にも、嫁いでいった義姉や義妹たちがお供え物を持ってやってきたり、親戚達がお供え物を持ってきて、お祈りしに来たりと、ぽつぽつ人がやってきます。暑い暑い日中、一連の儀式が済むと、ちょっと休憩。疲れきってお昼寝する女性陣の姿も・・・。

ここですこし、ガルンガンの本来の目的とは?というお話を。
ガルンガン、とは、この大自然・世界の、光り輝く頂点の日である、とものの本には書いてあります。「真実の光へと到達する最終目的の地点」とも。
抽象的過ぎて、難しいですよね~。ガルンガンは、210日で一巡りするウク暦の頂点に当たる日なのです。この210日間に行われた様々な儀式の集大成、ともいうべき日でもあります。全てのバリ・ヒンドゥー教徒が自らの行いを正し、取り組んできた「真実の勝利」への道の、集大成。
このガルンガンの日、神がサン・ヒャン・シワ・マハデワとなって、全ての神々、祖霊神、とともに地上に降臨します。神となった私達の祖霊神は、子孫達の「良き人間としての行い」を見たいと願っています。なぜなら、この世での、われわれ子孫の善行が、あの世での祖霊神の立場にも影響を及ぼすからです。
すでに古典となったミゲル・コバルビアスの著書「バリ島」に、「バリ人が神々のことを言うときには、数知れぬ種類の守護霊たちのことで、それはみな、なんらかの意味で祖先の概念と結びついている。中略~いずれにせよ、祖先こそが人々にとっていちばん身近で最初の神々であり、祖先を祀ることはこの世と霊界のつながりを築くことである。」という一文がありますが、私もこれには、なるほどな~と深くうなずきました。バリ・ヒンドゥー教は、あきらかにインドのヒンドゥー教とは異なるのです。このへんの事情から、「ガルンガンとは迎え盆」という風に、ガイドブックなどに書かれるようになったのではないか、と思われます。
ガルンガンとは、ウク暦におけるバリ・ヒンドゥー教の、ひとつの集大成の日であり、バリ・ヒンドゥー教徒にとっては一番大切な日なのです。

話を現実に戻しましょう!お昼寝の時間は過ぎて・・・
夕方3時頃になると、今度は「ルンスール」と言って、お供え物を下げてまわります。何しろ量が膨大なので、お下がりを仕分けるだけでも一時間はかかるのです!みんなお下がりのお菓子や果物をつまみながら、おしゃべりを楽しみながらお供え物を整理して、什器を片付けていきます。このあと、夜にかけては、子供達のお楽しみ、「バロンの巡行」があるのです。
ガルンガンの日には、プラ・ダラムに安置されているバロン(獅子の姿をした聖獣)とランダ(強い魔力を持つ魔女)が出揃って、ガムラン隊を従え、村の辻々を巡り歩きます。
私の住む村は、「クロッド(海側)」と「カジョー(山側)」の二つのバンジャールに分かれているのですが、この日はカジョー側のバロンとランダも一緒になって、巡行します。
このとき、何箇所かで「お布施集め」があり、その場でバロンは踊りを披露します。このお布施は、今後、バンジャールの管理の元、お寺の維持や、村の行事のために使われます。
新調した正装で、村人が大人も子供も、その巡行に付き従います。小さな子供達は興奮して夜遅くまでついて行きたがるのですが、大抵は途中で眠くなって最後のお寺まで付き添うことはできません。こうして、ガルンガンの長い一日は終ります。

 ガルンガンから10日後のクニンガンまで、到るところで、子供達の「バロン」が練り歩きます。小額のお布施を稼ぎに、自分達の村を出て、「遠征」するバロンも珍しくありません。小学生達のあやつる、つたないバロンから、村の青年団による、かなり本格的なバロンまで、一日中、何回も目にすることが出来ます。私の住む村では、決まって夜の7時ごろ、村の子供達がバロンを操って、各家をまわって、門付けを集めます。小さな子供達は大喜びで、どこまでもついて行きます。日本でも、昔は獅子舞の門付け、というのがあったのですよね。きっと似たような感じだと思います。

 ガルンガンの翌日は、ウマニス・ガルンガン、通称マニス・ガルンガンと呼ばれる日です。本来は、ガルンガンのお供え物を、下げる日(ルンスールといいます)なのですが、どこの家もガルンガンのその日に全部片付けてしまうので、この日は小さなお供え物、バンタン・ソドだけを供えて、各家寺でお祈りし、ティルタ(聖水)を戴くだけです。そして、その後、人々はみな着飾って、親戚や実家、または親しい友人の家を訪問しあったりして、ゆっくりと休日を楽しむのです。

 このように、ガルンガンには、仕事や学校や結婚などで、遠く離れて住んでいる人たちも、みな実家に帰ってきます。そういう意味では、日本のお盆やお正月に当たる、といえるでしょう。

 ガルンガンの4日後に、ハリ・スチ・ウリアンという日があります。この日は神々が元の場所に戻る日であり、決められたお供え物を供えます。その翌日は、サン・カラ・ティガ(悪霊)が元の場所に戻る日とされています。
このように、ガルンガンは、その後も小さな行事が続き、10日後のクニンガンを迎える訳です。

スンバヤン~お祈り~花々を頭上に掲げて祈る、世界一美しいお祈り。

 以前、記事を書かせて貰ったものの中で、これは残したいな、と思うものをここでUPしとくことにしました(^^)
バリ・ヒンドゥー教徒の、お祈りの仕方について、です。

 以下~

さて、これまでお伝えしてきた、バリ島の色んな儀礼・行事には、必ず人々の祈る姿がありました。今日はこの、「お祈り」の仕方について少し書いてみましょう。
バリ島の大半のバリ人は、バリ・ヒンドゥー教徒で、ここでいう「お祈り」とは、このバリ・ヒンドゥー教徒としての祈りのことです。お寺で祭礼が行われる際、観光客や在住の外国人も、きちんと正装してお祈りの用意をしていれば、一緒にお寺の境内でお祈りすることができます。お寺で捧げられる祈りは、宗教を超えた存在の「神」に対して捧げられるので、バリ・ヒンドゥー教徒しか入れない、ということはありません。しかし、やり方が「手を合わせるだけ」というのではないため、初めてだとちょっと戸惑うかもしれません。今日は、お祈りの仕方を、簡単にご紹介しましょう!

 お寺でお祈りする時は、僧りょの祈りを補佐する、宗教行事においての指導的立場の人の指示がありますので、基本的にはその人の言うとおりにすればいいのですが、バリ語の尊敬語が使われますので、言葉がわからないと、どう従っていいのかもわかりませんよね。
お祈りの流れは、だいたいのところ、手順が決まっていますので、基本的なところを覚えておけば、流れについてお祈りできると思います。

 お寺にいく前に、必ず沐浴して、正装します。そして、お祈りに使うお花、お線香を用意します。そのお花ですが、家のお庭でお花をとる時は、まだ枝についているものを摘み取ります。下に落ちてしまったり、虫食いのあるものや、枯れかかっているもの、墓場で摘んだものは使えません。白やクリーム色のジュプン(プルメリア)や、香りの高いチュンパカ、ジュンピリン(くちなし)、サンダット、ハイビスカス、ブーゲンビリア、バラなどが、よく使われます。
 もし、用意できれば、「クワンゲン」というものを準備します。これは神をシンボライズしたものと言われ、椰子の葉で作ったお飾り、ポロサン、幾種類かの花々、ペス・ボロン(中国の銅銭)もしくはコインのお金をバナナの葉でくるんだものです。
お祈りに使われる花々は、私達の心の美しさを表すものです。私達の祈りと願いを象徴したものですので、必ず、新しくて清浄なものでなければなりません。
これらのものを、銀の盆などに乗せ、あるいはもっと簡素に、バナナの葉で包んで、お線香、マッチなどと一緒に持っていきます。

 お寺の境内では、儀礼が続き、人々が捧げ持ってきたお供え物に祈祷が施され、お祈り待ちの人々でぎっしり埋っています。お祈りが始まる、少し前にお線香に火を点します。これは、周りの人々を見ていれば、タイミングが分かると思います。人が隙間なく並んでいますので、お線香の火が人にあたらないように注意しましょう!

 お祈りをするときは正座です。男性はあぐらを組みますが、女性は必ず正座します。
そのお祭りで、その日一番最初のお祈りの場合、全員で「トリ・サンディオ」というマントラを唱えます。この、トリ・サンディオについては、後でもう少し詳しく紹介しますね!

 さて、いよいよお祈りが始まります。
お祈りの最初と最後には、何も持たずに両手だけを合わせる「sembah puyung(スンバ・プユン)」があります。これは手を額のところで合わせます。
それでは、順を追ってお祈りの仕方を説明しますね。
① sembah puyun(両手の間に、お線香の煙を挟むようにします)
手を合わせる前に、お線香の煙に手をかざし、清めてから手を合わせます。
② SangHyang・Adityaとしてのサンヒャン・ウィディ(唯一最高神)への祈り
サンヒャン・スリヤ(太陽神)への祈りです。白い色の花を両手の指先にはさんで額の高さに掲げます。掲げる前に花を線香の煙にかざします。
③ イスタデワタへの祈り
その日や場所によって具現化された神への祈り、例えば、ブラフマ、ウィシュヌ、イスワラ、サラスワティ、ガネーシャなどの神々へ、あるいは満月や新月の時にはシワ神への祈りとなりますので、マントラもその時により変わります。
このときには、クワンゲン(なければ3種類の花を取り混ぜて使いましょう。ひとつの花でも構いません。)を額の高さに掲げて祈ります。掲げる前にクワンゲンを線香の煙にかざします。
④ 神からのめぐみに対する感謝の祈り
クワンゲンを掲げて祈ります。掲げる前にクワンゲンを線香の煙にかざします。
⑤ Sembah puyung
空手を線香の煙にかざしてから、額の高さに掲げて両手を合わせて祈ります。
各お祈りの時には、僧りょがマントラを唱える間、鈴が鳴らされつづけますので、鈴が鳴っている間、手を頭上に掲げて一緒に祈ります。
祈りの手順はだいたいこのような感じですが、随時、何の神に祈るのか、説明がありますので、それに従えばよいのです。たとえば、「プユン」と聞えれば空手を合わせて祈る、最初と最後の祈りですし、「クワンギ」と聞えたら、クワンゲンを掲げて祈ればよいのですね!
余談ですが、ものすごく色んな神様に祈りをささげる時があります。何回祈るねん!?というくらい、中々終らず、持ってきたお花が無くなりそうになってしまったり。そんなときのために、お花を半分にちぎって(節約して)祈ってもよいのです。重要なのは、まだ使っていない花びらを手にはさんでいることなのですね!
クワンゲンも、たいがい一人二つづつしか作らないことが多いので、何回も「クワンギ」と聞えると、人々の間に軽いどよめきが起こります(笑)。そんな時は、先に使ったクワンゲンから、ペス・ボロン(穴の空いた中国古銭)を取り出して、それを何種類かの花びらと一緒に指に挟んで、祈りに使います。即席クワンゲン、という訳です。

 しかし、実際にはそこまでお花の配分にこだわる必要はないようです。
「何も捧げるものがなくてもよい。あなたの心の中の、いつまでも枯れることのない、香り高い花を神に捧げよう」というわけです。
さて、お祈りが終ると、次にティルタ(聖水)とビジョ(チュンダナを浸した水に漬けられたお米)を戴きます。僧りょが前に来る前に、危ないのでお線香を少しずらしましょう。

①僧りょ(もしくはその奥さん)が前に来たら、両手を顔の横の高さに開いて頭を下げ、清めのティルタをふりかけてもらいます。ティルタがかけられる時は、必ずこのような姿勢をとります。
②次にティルタ(聖水)を戴きます。右手を左手の上に重ね、ティルタを受け、口に含みます(飲みます)。これを3回繰り返し、
③4回目は、そのまま顔を洗うようにします。顔を拭う感じです。
④その後、またティルタを頭上に降りかけてもらいます(両手は開いて手のひらは上に向ける)。
⑤そのあと、差し出されたビジョ(お米)を適量右手で取り、左手の手のひらに移し変えます。
⑥そして、右手で3粒を眉と眉の間に貼り付け、3粒の形のきれいな(欠けたり割れたり潰れたりしていないもの)米粒を口に入れ、噛まずに丸飲みします。残りの3粒は胸の部分(のどと胸の間くらい)に貼り付けます。
実際にはきちんと3粒づつ数えるわけではないので、適量を眉間と胸元に貼り付けるのですが、上手くくっつかずに落ちてしまっても問題ありません。
このビジョ(米)は、「神からの恵」のシンボルです。また私達一人ひとりの中にある神聖さ=神が成長し、魂の質が向上するように、という願いを表してもいます。

 さて、バリ・ヒンドゥー教は、「アガマ・ティルタ(聖水教)」と呼ばれるくらい、聖水・ティルタの果たす役割は重要です。
人間は水無しでは生きていけません。この水はまた、自分自身を浄化する清めの水であり、幸福な人生を意味する、あの「アムリタ」のことでもあります。
聖水を頭、口、顔と、3回ずつ戴くことの意味は、「思考・言葉・行動」を浄化する、ということだそうです。聖水を戴くことで、常に、良いことを考え、よい言葉を使い、よい行いが出来るようにお導きください、ということを心がけるのです。
また、ティルタを戴く前に、祈りに使った花を耳の上にはさみますが、これはいつもいつも善いことが聞けますように、という意味があるそうです。

 そして、お線香。お線香とともに、火を点すという行為が重要なのですが、火の神はアグニ神であり、アグニ神は人間の行いについて目撃し証言する神であります。お線香に火を点すと言うことは、神の立会いの元に祈る、という意味なのです。

 ここで、余談ですが、手の合わせ方について。
お祈りの仕方とは違うのですが、ちょっと面白いのでご紹介しますね。

 サン・ヒャン・ウィディ(唯一最高神)に対する時は、手を額のところで合わせ、指先は頭の大泉門にくるようにピンと伸ばします。これが、お寺でのお祈りの時の手の合せ方です。
 デワタ(デワ)神々に対する時は指先が眉間に来るように手を合わせます。
 先祖神に対する時は、指先が、鼻先に来るように手を合わせます。
 人に対して手を合わせるときは、みぞおちのところで手を合わせます。
 悪霊などの地霊神に手を合わせるときは、みぞおちのところで手を合わせますが、指先は下に向けます。

 さて、先ほど少し触れましたが、「Tri Sandhya-トリ・サンディオ-」について少しご紹介しましょう。
トリ・サンディオとは、バリ・ヒンドゥー教徒が一日3回、必ず行わなければならないお祈りのことです。「必ず」と書きましたが、実際に一日3回これを行っているバリ人は、とても少ないようです。イスラム教徒が一日5回、ショラットという祈りを行うのと同じように、本来はバリのヒンドゥー教徒も、毎日このトリ・サンディオを行うのがよい、とされています。最近、各TV局では、毎日、朝・昼・夕方・夜に、このトリ・サンディオのビデオクリップを流しています。

 トリ・サンディオはリグ・ヴェーダ、ナラヤナ・ウパニシャッド、シワスタヴァ、クサママハデワストゥッティから抜粋された6つのマントラから成っています。バリ人は幼稚園に行きだすようになると、少しづつこれを学校で習います。毎朝トリ・サンディオを行っている学校もありますし、満月・新月・カジャンクリウォンといった日には、全校生徒で行うようです。
という訳で、バリ人ならば、そして義務教育を終えているものなら全て、トリ・サンディオを暗記しているはずで、しかも毎日3回づつ日課として祈っているなら、もちろん完璧に、これらのマントラを諳んじているはずなのですが、実際のところ、ちゃんと覚えていないバリ人が多いようです。
 というのも、バリ・ヒンドゥー教が、今日のように体系化されたのは、比較的最近の話で、年配の人々などは、トリ・サンディオのことも、ましてや意味も、まったく知らない人も少なくないのです。トリ・サンディオが今のように、みんなに原典のサンスクリット語で唱えられるようになったのも、うちの旦那さんが小学校くらいのころからだそうです。昔は、サンスクリット語の聖なるマントラを唱えることは、最高位の僧りょ、プダンダにしか許されていないことでした。
 私に最初にトリ・サンディオを教えてくれたのは旦那さんですが、この間、幼稚園で習ってきた娘と一緒にマントラを唱えてみたところ、旦那さんは娘よりも覚えていませんでした。一体、どういうことでしょう。本人は、学校で毎日やっていたときは完璧だった、と言い訳をしていましたが・・・。
 トリ・サンディオの一番最初のマントラは、「ガヤトリー」というマントラです。ガヤトリー・マントラはバリに限らず全てのヒンドゥー教徒にとって最も神聖なものとされ、聖典「ヴェーダ」の全てのマントラの精髄が凝縮されたものだそうです。これはインドのヒンドゥー教でも同じで、プスパも以前、インド関連の書物を読み漁っていたときに、何度も目にしたことがあります。
インドから入ってきたのか、音楽のついた歌になってガヤトリーマントラだけを何回もリピートしたカセットテープが売られており、プスパが子供を産んだ時、バリ人の義理の姉が、「これを毎日、赤ちゃんに聞かせるといいよ」と、そのカセットをくれました。そういえば出産した産院で、決まった時間に同じカセットのガヤトリーの歌が流されていたことも思い出します。とにかく、これさえ唱えておけばOK、という、最強のマントラだそうです。
ガヤトリーとは、別名サヴィトリー、インスピレーションを与えてくれ、常に善行を行う後押しをしてくれる女神です。また、ガヤトリーは、学問・文化・善行の女神・サラスワティーのことでもあります。そして、ガヤトリーは太陽の別名でもあります。ですので、特に夜明け、太陽が新しく顔を出す朝一番の時間帯が、ガヤトリーマントラを唱えて祈るのに最適の時間と言われ、次に太陽が真上に来る正午、その次が太陽が沈む夕刻、と一日3回の祈りの時間が決まっているのです。
そして、もちろん、祈りは何回も何回も、回数が多いほどよいので、お寺で祈る前にトリ・サンディオを行うことはとても有効なのです。
トリ・サンディオを行うのは、お寺、家寺、山頂、丘の頂き、湧水のある場所、海岸、川の合流地点、などなど、ヒンドゥー教徒にとって神聖な場所で行うのがよい、とされ、身内に死者が出た場合、女性の生理中などは、避けたほうがよいとされています。
それでは、ちょっとマニアックですが、トリ・サンディオの正しい行い方をご紹介します。

1、 アーサナ(背骨をまっすぐにするように意識し、きちんと座る。)
2、 プラーナヤマ(手は膝に上に向けて置く。大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出し、呼吸を整える)
3、 左右の親指は合せたまま、右手を上に。右手を清める。マントラは、om,kara suddhamam swaha
4、 親指は離さず、左手を上に組み替える。不浄の手である左手を清める。マントラは、om,kara ati suddhamam swaha
5、 両手の親指と右手の人差し指を合せ、左手で右手を包むような形。この3本の合わされた指は、神聖なる音、「AUM」を表している。ここから祈りの始まりです。

最後に、ガヤトリーマントラをご紹介して終りましょう。サンスクリット原音をアルファベットで表記したもの、インドネシア語を訳したもの、最後に、サイババによる訳を載せておきます。

Om om om
Bhur bhuvah svah
Tat savitur varenyam
Bhargo devasya dhimahi
Dhiyo yo nah pracodayat
OM聖なる原初の音、神の御名
大地(地球)、空(大気)、天、全てに偏在する
最高に崇められる、究極の実在である「それ」、女神サヴィトリー
光り輝く神に
意識を集中させ、想いを馳せる
神が我らに英知を恵み与えたまわんことを

~神聖なる神、全世界・すべてのものに偏在する女神、あなたに祈りを捧げます。我々の知性を照らし、無知を取り払ってください。輝く太陽があらゆる暗闇を払うように。我々の知性を浄め、輝かせたまえ。~

NGABEN 主観的追記。

NGABENについて、もう少し記しておきたい。

 前回は、本の引用が主であった。
今回は、私の主観が多分に入ると思う。

 バリのガベンの取り上げられ方について、私が少々違和感が有るのは、例の、あの、毎年のように行われる「今世紀最大のガベン」である。
何年か前の、空前のスケールのウブドのチョコルド王家のプレボン、それから毎年のように行われる大掛かりな火葬式。
 90年代に、もっともっと規模の大きなお葬式を、ギャ二アールまで見に行ったことも有る。

 ただ、そこだけクローズアップされているが、バリの人たちの死んだ時、というのは、火葬式、だけではないのであって、死んだ直後から、最後の最後、火葬に至るまでのプロセスが興味深いのであり、実は私達日本人の葬儀の仕方と、さほど変わりはないのではないか?
 それに、あの仰々しい火葬式は、実は本当に稀なものであって、普通の行事ではない、ということ。
 
プトゥ・スティアの本にも書いてあったではないか。

 昔は、火葬は見せものでは無かった。バデを用いるような大規模な火葬はめったになく、行列もない。都会でだって田舎でだって、火葬はたいがい簡素で、遺体を運ぶ御輿は一層しかなく、簡単な飾りしかないし、しかも少人数しか参加しないのだ、と。

 以前も書いたことがあるような気がするが、私が初めてバリに来た、23年前、初めてのバリで、葬式と結婚式を連続で、見た。
 今思うと、あれは、UBUD近郊のどこかの村だったと思う。その当時は、まったく地理も分からず、聞いた名前や地名もまったく耳に残らず、マリンスポーツと夜遊びに終わったバリ島滞在であったが、その時の葬式の様子と、バトゥブランで見たバロン・ダンスが特にくっきりと印象に残っている。

 バリの葬式は、私にとって、かなりの衝撃であった。
その時の葬儀は、火葬式ではなく、埋葬だけだったのか、と記憶している。(もしくは火葬だったのかもしれないが、その時のそれは記憶に残っていない)
 ただ、死者の家で、トペン(仮面)舞踊があり、行列にぞろぞろついて行ったのを覚えているので、あれはやはり火葬式だったと思われる。今から思えば、田舎の、昔の、素朴な?葬儀だったのだと思うが、日本でもろくに葬式に行ったことが無かった私は、その人の多さに驚いた。
 その時の私の衝撃とは、「人が死んだというのに、誰も悲しんでおらず、なんだかお祭りみたい」という、いたって素朴なものであった。踊りが有って、歌、のようなものがある。人々は和やかに談笑しているではないか。

 率直に言うと、その翌日に見た、結婚式(これも、田舎の素朴な結婚式であったが、ハイ・カーストのカップルだったと記憶する)と、あまり違いが無いように感じられた。

 私は、「死」という概念に関して、人並み、もしくは少し人並み以上にシリアスに考える性質で、幼いころから、「死ぬ」ということは恐怖であった。死の周辺に関する出来ごと、「お葬式」などは、参加しただけでその「死」の気配を被ってしまう、と思い込んでいたくらい、遠くて怖い、そんなイベントであった。

 なのに、このあっけらかん、とした様子は何事だろうか。この、晴々しさは何なのだろうか。

 そこへの疑問が、バリに惹きつけられ続けた最大の理由だったかもしれない、と今は思っている。


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 人は、みな等しく死に向かって、ひたすら生きている。生まれた瞬間から、絶対に死ぬ、いつかの瞬間に向かって、黙々と歩を進めている、と言ってもいいだろう。
 いずれ死ぬのになぜ生まれたのか、とか、生きているという実感を哀れなほど追い求める人間の性に、何か理由づけを、とか、子供の頃(青年期含む)は、必死になって探し求めていた気がする。

 バリに来てからは、シンプルに、食べて飲んで眠って、子供を作って産んで育てて、という、動物としての人間の、一番シンプルな部分、「生活」で忙しなく、「生について」「死について」などと、哲学的に思いを巡らせている余裕が、はっきり言って無かった。
 そこが、私がバリが好きな所以である。人もイキモノ。誤解を恐れずに言うと、家畜の生態と、それほど変わらぬ生き方を、自然に沿って行っている。
生病老死を、これほど当たり前に、自然に、そして丁寧に行っている人々も珍しいのではないか、と思う。
 そこには、生きるための動機づけ、なんていう、オシャレな概念は存在しない。

 生まれてきたから生きて、そして死ぬ。

それだけ。

 ただし、人間として。

 その「人間として」の生を全うするにあたっての一大イベントが、ガベンなのである。


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上の写真は、先日のプンブルシアンの儀式の後、沐浴場にて清められた遺体(のシンボル)が、ペタという斎場(儀式をとり行う祭壇の場所)に戻る時だ。家族に清められ、抱かれて、ペタに戻っていく。

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なんだか晴々としていて、あとからこの時の写真を見返して、ああ、いいなあ。これが死ぬってことなんだなあ。と思った。
死の苦しみが有り、遺族の悲しみが有り、生きていたからこその諸々の問題も有っただろうが、今日のこの日、あとわずかで待ちに待ったその時がくる、そういう清々しさを感じる。

 重要なのは、遺族全員が参加する、ということである。どんなに遠かろうが、死者と血縁関係に有ったものは、等しく全てこの儀式に参加するのである。
 今や、祖父母の死に目、葬式にも行かない(行けない、というのは行かない、と同義語である)私である。なんという違いであろう。

 このこともあって、バリ人には遠くに嫁に行く、という事があまり無かったのであろうと、今となっては実感される。嫁に行くのみならず、結婚して家から遠く離れることがあまりない、というのも。

 ヒンドゥーの教えの中に、人は皆、自分を産んだ両親に借りが有る、と、前回引用した。
これは、両親の人間性に、ではない。苦労して子供(わたし)を育ててくれた、お父さんとお母さんに親孝行せねば、ではないのである。
 つまり、kama bangと kama putih、つまり、自分の誕生をもたらした、男性配偶子と女性配偶子への借りである。この二種類カマ kama の借りは、火葬儀礼によって完済されるのだ。

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ペタに入る前に、長い儀式が行われるのを、じっと待つ人々とこの儀式の主役たち。
ペタに入って、再度、祭壇に配置されたら、あとは翌日の火葬式を待つばかり。
あとは、nyuwung 、大きな儀式の前に静寂を保つ。すべて、もう完了したのだ。供物類も、火葬御輿も、沐浴も。

 お支度、全て整いました、の状態である。


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火葬にかかる供物の数は膨大で、だからこそ合同で行われる所が多いのである。1人分をその都度、寄り集まって作っていたら、一年中、それで終わってしまう。

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亡くなった叔母が埋められている場所。共同墓地には、この村の亡くなった人全てが、埋められている。もう、生命の消え去った、魂が離れた、そういう儀式を数々なされた、自然に返されるべき肉体が。


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自前で棺桶やバデを作らなかった人々の簡素な棺桶。全部同じ形であり、各々死者の名前が入っている。前の部分には、仏教徒にもお馴染みの、地獄の裁判図が描かれたものが貼られている。
棺桶の大きさに関わらず、全肉親がこの周りを取り囲んでそれぞれに儀式を行うので、墓地はこの日はすごい人だ。数が多いので、一斉に、滞りなく火葬を終えるために、人々はぴりぴりしている。

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 祖母を亡くした幼い子供。きっと、お祭り騒ぎでおばあちゃんを見送った思い出として残り、これからも幾人かの親戚を見送っていくのであろう。  

 バリと関わりだしてから、何回も葬式に参加し、あるいは見学しているが、やはり、年々火葬式も大掛かりになり、派手になっているのだと感じる。
 ウブド郊外の田舎のわが村でさえ、前回の合同葬儀よりも、バデやルンブーの数が増えていた。
 しかし、ほんとうに、富裕の差、職業の貴賎無しに、すべて等しく各人に「同じ儀式」が行われる。
大きなバデは、結局墓地に入りきらなかったので、道端に置かれ、そのまま解体された。誰かが特別扱い、なんてことはなく、ただひたすら、間違いなく、滞りなく儀式を終わらせる、その強い意志を感じた。
 
 全てを燃やした後は、チャンプアンまで灰を流しに行き、この日、終了したのは夜11時ごろであった。

 私自身は、亡くなった実母のその後の法事も、二人の実祖母の葬儀にも、出れていない。帰国していないからだ。そんな私だが、バリ人の主人の親戚の葬儀にはせっせと付き合っている。

 なぜなら私はバリに嫁ぎ、主人の家族となり、ゆくゆくはこの共同墓地に埋められることになり、私の息子が私の火葬儀礼をとり行う事になるであろうから。
 私達の子供達が、これからもカマの借りを滞りなく返済し続けて行かれるように。







NGABEN バリの火葬儀式

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今年に入っての、わが村での大きな行事、Ngaben 火葬式、が6月13日に執り行われた。

バリ島、といえば、壮大なスケールの火葬式を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。

大抵のバリ島についての写真集・ガイドブック・特集番組では、この火葬式について取り上げられている。

今日は、バリの葬儀事情について、少しご紹介しようと思う。

 まず、「バリは火葬」という認識は、半分当たっているが半分は違う。

 村によっても違うのだが、大概のバリの村は、何年かに一度の、合同火葬式、という形式をとっている所がほとんどだ。合同葬儀までの間は、村の共同墓地で、土葬されている。
 私の住んでいる村の場合は、土葬された遺体を掘り起こすことはせず、そこの土のみを遺体の代わりとして火葬に附す。なので、これは実質、「遺体を」という意味では、土葬ではないだろうか。

 それでは、何をもって火葬、というのか。

 私がバリ島についての名著だと思っている本「プトゥ・スティアのバリ案内」という本から、かなり長いのだがガベンについて引用させてもらおう。これらの文章が、一番、端的に「バリの火葬式」を語っていると思う。

以下、黒字部分は、「プトゥ・スティアのバリ案内・木犀社」より抜粋。
青字部分は、今年のわが集落、プネスタナン・クロッドのガベンの様子を記す。

 火葬とは肉体をまっとうすること、人間の肉体を形造っている諸元素を自然に返すことだ。死ねば、魂(Sang Atoma サン アトマ)が出て行って、肉体が残る。だからその肉体はがらくたと変わらない。ゴミと同じですぐに焼却しなければならない。
 肉体(小宇宙)を形造る諸元素は、大宇宙にあるものと同じである。
肉体を形造る五大元素(Panch maha bhuta)=地 Pertiwi、水 Apah、火 Teja、風 Bayu、空 Akasa から成る諸元素は、自然とまったく同じであるだけでなく、自然の元素を借りてもいるのだそうだ。魂が肉体を離れたら、この借りたものは返さねばならないのだ。

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ガベンの際には、豚を多数、供物として犠牲にする。火葬式の際に捧げられる子豚のバビ・グリン

 さまよう霊魂が最後の休息場所(極楽、あるいは地獄)を速やかに得るためには、借りの返済は早ければ早いほうがよい。死体をただ埋葬しただけだと、土と同化する過程はもちろん何十年もかかる。その間、魂の方は借りのあるままで、休息の場所へは、心穏やかでないのでなかなか行くことができない。それだから火葬儀礼があり、相続人がそれを行うのだ。

 火葬儀礼はまた、相続人の義務、借りを返す義務ともなっている。ヒンドゥー教の教えによると、人はみな自分を産んだ両親に借りがあるのだ。この借りは、火葬儀礼により完済されると考えられている。

 火葬儀礼だけでなく全ての儀礼には、残された人間の、情熱・感情・感激・優美さ・礼儀・体面・自己顕示欲といったものを満足させる必要が有り、これらの満足はすべて、宗教によって道を与えられている。

 火葬儀礼の義務を遂行するにあたって、バリヒンドゥー信徒たちに保障されている三種類の方法:
Nista(低位) Madia(中位) Utama(高位)。この三つの方法はさらに三つに分けられる。儀礼の進行に影響を与えるのは、こうしたいくつもの等級で、これが供物の大小を生み、費やされる時間、かかわる人間、支出する費用に関係する。

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 この火葬儀礼の等級は、「カースト」とは関係がない。
「カースト」というのは、宗教的な教えによるものではなく、社会的役割によってつくられた人間の分類である。
 火葬儀礼の大小、そしてその費用は、儀礼をする必要が有る家の社会経済的状況により決まる。お金が有れば、血筋を問わず、もっとも高い等級の方法(Utamaning utama)でできるのだ。

 集団火葬には、普通はだれかが主催者となる。火葬儀礼のクライマックスの一か月前から、人々は儀礼の準備に寄り集まって、忙しく働き始める。儀礼のクライマックスの7日前、遺体を掘り起こす。これをMungkah ムンカ―という。
 その翌日は、火葬便乗組が墓地にやってくる。遺体を掘り返すのではなく、遺体の象徴として、墓地の土を適当なだけ取るのだ。このように象徴的に遺体を掘り出すことを、Nyewasta ニュワスタ と呼ぶ。死体を直接火葬にしない火葬儀礼という意味だ。
 翌日はプンブルシアン儀式、人形のような形の遺体の象徴(骨であれ土であれ)Pengawak プンガワッを、沐浴場で洗う。

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プンガワッを抱いて、沐浴を済ませ、ペタ、と呼ばれる斎場に戻る遺族の行列。

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 火葬儀礼のクライマックスの二日前を、Nyuwung ニュウンの日と呼ぶ。大きな儀礼の前に静寂を保つ、という意味だ。その日の夜には影絵芝居が上演される。パンダワ兄弟が聖なる水、ティルタ・アムリタを捜し求める話で、スクリーンで、パンダワが激しい戦いののち、ついにその聖水を獲得した所で、影絵芝居師 ダラン も、翌日の儀礼に必要な聖水をつくった。この聖水は、翌日、墓地で遺体にまかれる聖水の一種である。

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儀式の際に呼ばれる、影絵人形師・ダランは、聖職者同様、重要な役割を担っている。


 Palebon プレボン と呼ばれる、火葬儀礼のクライマックスでは、朝早くから火葬御輿が公開され、ムラスパサン(浄化)儀礼を行う。

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プムラスパサン。大きな火葬御輿は前夜、トラックで運ばれてきた。今回、自前で御輿やルンブーと呼ばれる棺桶を作った家も、多数あった。


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自前で用意しない場合は、バンジャールで用意された、魚の形の台が、プンガワッの台座となる。

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 遺体(の象徴)は、御輿の内部にしつらえた空間に運び込まれる。御輿の土台には、グンデル・ワヤン・クリッという楽器がひと揃いあって、奏でられ、霊魂が肉体を離れていく旅について行く。
 墓地への行列の間、バラガンジュールの銅鑼が激しく鳴り響き、御輿の担ぎ手たちの気持ちを奮い起こす他に、この銅鑼はまた、死者の肉体をうけとる五大元素を起こす働きもあると言われる。

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火葬儀礼の際の、バラ・ガンジュールは、特別に遺族をトランスに入りやすくさせると言われ、御輿の担ぎ手や遺族などがトランス状態に陥らないよう、村の警備団は特に慎重になる。一歩間違えば大事故になりかねない、大掛かりな行事でもあるし、あの世にひっぱられてしまう人が出ないよう、最新の注意が必要だ。

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オゴオゴの時もそうであるが、村の中心の十字路、そして、村のプラ・ダラムの前の交差点で、御輿は三度、ぐるぐると回される。いよいよこの村を最後に去り、そして戻って来ないように、方向を分からなくさせるそうだ。

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 墓地では、遺体を降ろす前に、遺体の近くに置いてあった鶏を投げる。これもまた、霊魂が肉体を離れて行こうとしている事を象徴している。

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肩に担がれているのは、遺骨、もしくは土を包んだ遺体の代わりだろうか。

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墓地での儀式の間、村の全ての人々、よその村からきた遺族が集まって待っているので、墓地内は身動きもならないほどの混雑だ。燃やされるまでの間、長い時間を待つ。

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燃やす前、遺族が供物を持って、三度、ぐるぐると遺体の周りを回る。

司祭が儀礼を執り行ったあと、遺体は三本の線香で象徴的に燃やされ、それから埋められる。

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 プトゥ・スティアは、最後に、あるバリ人の言葉でこの火葬式の章を終えている。

 「火葬儀礼は単に祖先の魂のために葬式を出すという事だけではないからね。盛大な火葬は芸術を活性化し、社会的な絆、助け合いの精神を育てるという事も意味する。
 盛大な火葬はいつまでもなくならないだろうな。盛大な火葬は昔は王族の家で行われる事が多かったものだが、王侯貴族の家柄でないとしたら、王宮外の別の所、裕福な家で行われるのだろうな。」


 確かに、毎年のようにウブド王宮では「今世紀最大の」火葬式が執り行われ、その都度大きく報道され、観光客はつめかけ、お祭り騒ぎはエスカレートするばかりに見えるが、もちろん、火葬儀式は観光用に執り行われているのではない。
以前、ブログでも、人が亡くなってすぐに執り行う埋葬までの儀式を紹介したが、それと火葬式を併せて、初めて人は人としてこの世を全うするのである。

 皮肉にも、ブサキ寺院の100年に一度の大祭、エカ・ダサ・ルドラの儀礼計画の際に、倹約した火葬儀礼の啓もう活動を成功させ、集団火葬儀礼という新種が登場した、ということであるが、1963年、貧困にあえいでいたバリの人々も、実際のエカ・ダサ・ルドラの行われた1979年には生活も向上し、現在にいたっては富裕層も増え、政府はもう、「火葬節約」の宣伝をすることもなくなった。
 節約するのも、結構。派手にするのも、禁止はしない。
 ということである。

 いずれにせよ、火葬とは、大掛かりな大騒ぎではなく、人間の肉体を形作っている諸元素を自然に返すこと、この根幹がバリに根付いている限り、無くなることのない、ユニークな儀式であろう。


今回の、このガベンの様子を紹介した、ワルン・ソフィアの女将のブログ
ウブド極楽生活

今回のガベンで一緒に儀式を行い、村一番の大きなバデをしつらえた、スペイン人の画家、故・アントニオ・ブランコの奥さん、ロンジーさんについて。
ANTONIO BLANCO&NI RONDJI

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