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ぷらさん亭

Author:ぷらさん亭
バリ島で娘一人、息子一人、旦那とその両親+犬、猫、庭のジャングルにいる様々な動植物と一緒に暮らしています。
獅子座・A型

UBUDで宿をやっています。
http://prasanti.web.fc2.com

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お供え物と食事の事。

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 今日(2020年4月7日)は、バリのカレンダーでは満月で、日本のカレンダーよりは一日早いけれど、バリ島では満月のお供え物が捧げられました。

 「お供え物」って、何だと思いますか?

 それは、「神様へのおもてなし」です。
神様にお越しいただいて、迎える私たちは精いっぱいの持てるもので、お迎えしおもてなしをするのです。「最高の客人」、それが神様です。
 そして、ひと時の神様との交わりのあと、その「お下がり」を我々が頂くのです。
 だから、お供え物の中身は、主食、メイン、デザート、をそれぞれ調理したものです。それにお花などデコレーションをつけ、美しく盛りつけたものが、「神の座」である祠に供えられます。そのまま人間が食べられるものばかりです。

 お供え物を準備するときは、手や顔を洗うのみならず沐浴して身を清めてから、それぞれの素材を調達します。使われるものは全て「新品」のものでないといけません。「新品=まだ供えられていない、お下がりでない状態」のことです。
 素材を分けるのにカットする時に、手で千切ったりせずに専用のナイフを使います。もちろん準備中に余ったものを食べたり(味見したり)しません。
 
 そうやって準備したお供え物を、猫やネズミが狙ってかっぱらったりするのを、バリ人は神経質に阻止しようとします。もし、お供えする前に誰かが(害獣、害虫が)食べてしまったら、やり直し、準備しなおしです。

 そうやって入念に準備したお供え物を、お線香とお花と聖水でお供えした後は、全部下げて回って、それから、人間がお下がりとして頂きます。

 以上を、ルーティーンとして、毎日、バリ人的生活を送っているのです。

 サンスクリット語を学び始めてから、インドでの食文化、食生活のことを学ぶ機会があり、その時に、「料理をする人は、途中で味見などしてはいけない」というのを聞いて、びっくりしたんです。「え、味見しちゃいけないの??」って。

 私はあまり料理が得意でないこともあって、人に出す料理を作る時は、必ず味見していました。もちろん鍋からそのままではなく、少しよそって小皿から、ですけど、それは当たり前にやっていました。
 それがいけないとな??

 なぜいけないのか、その理由とは、以下↓


 そうだ。
 食事っていうのは、「自分に対する、家族に対する、訪問者に対する、お供え物ってことなんだ。」と、はっと気づかされました。
 日常、ルーティーンでやっているお供え物と同じ姿勢で、日々の食事に対峙する。
私が味見してしまったものは、私からのお下がり、になってしまうのだから、それを人にお出しするわけにはいかない。そうか。

 私がMedah Michika 先生にサンスクリット語を学び始めてから、気づいたことは本当に沢山あります。バリで、バリ・ヒンドゥー教徒として生きていく上の葛藤の中で、助けになる気づきを、沢山たくさん与えて頂きました。

 食事、料理、お供え物。日々の生活がヒンドゥー教徒としてのダルマに沿った生き方で、それがそのまま自分と自分の人生、そしてもちろん神様へのプージャとなる。

 20年近くバリでどっぷりバリ人生活に漬かっていたはずなのに、私はまったく、バリ・ヒンドゥー教徒としての彼らの生活を、分かっていなかったのです。
「やらなあかんからやってる」という生活からそろそろ抜けたい、と思っていた時に、「正しく理解」出来るように、そして、その知識を惜しみなく与えてくれる師と巡り会えたことは、本当に幸運でした。

 もちろん、バリのヒンドゥー教徒と、インドのヒンドゥー教徒は、違いもたくさんあると思います。私はインドのことは知らないので、どこがどう違うのか、良くは分かりません。そして、バリで生活していく中、ヴェーダを勉強していく中で、解決していない問題もいっぱいあります。

 その一つが、バリ・ヒンドゥーでは動物供儀が行われているという事、そして「お下がり」には動物性のものが入っているという事、です。うちの家庭では、旦那だけがベジタリアンで、他の家族は私も含めてノン・べジです。日常、お供え物を準備する時には動物性のものを調理します。

 バリ・ヒンドゥー教の「お供え物」は、「自分の一番大切にしているものを犠牲にして捧げる」という側面があります。自分の時間や労力や財産を犠牲にして村の宗教行事に捧げる、というのもそうです。それを究極にシンボライズした「てしおにかけて育てた大切な家畜を捧げる」という形になったのが、動物供儀でしょうか。
 これについてはいまだ答えが出ませんし、別のトピックかとも思うのでまた別稿で。

 ただ、アハンaham=アンナㇺannam、私は食べ物、というこの課題の重要性、この課題の意味は、これから一生かけて向き合っていく課題なのだなと思っています。









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Siwa Ratri シワラトゥリ@バリ島

バリ島では、年に一度、一月中に、シワラトゥリの日があり、学校はお休みになります。

この日は寝ずに朝までお寺巡り、お祈りをするバリ人が多く、若者は連れ立って出かけます。目的はお祈りですが、堂々と夜通し出かけられるので、カップルも多いです(笑)。
シワラトゥリの謂れ、意味を、転載ですが、集めてみました。

バリ島とインドのそれとは、日もちょっとずれるのですが、ご本家インドのシヴァラ―トリの記事があったので、転載。以下↓
*********
シヴァラートリとは「シヴァの夜(ラートリ)または吉兆の夜」という意味です。シヴァラートリは、毎月、満月から14日目の夜にあたります。しかし、特にパールグナ月(2月~3月)のシヴァラートリは、マハー・シヴァラートリと呼ばれ、一年の内でもっとも神聖な夜として知られています。

この夜、シヴァ神の信者たちは、断食をし、睡眠を絶ち霊性修行に励みます。シヴァラートリは、月が満月から新月へと変化する境目です。充ち満ちた欲望(月)がやがて消滅していくように、満月から新月へと変化するシヴァラートリの日に霊性修行に励むことで、欲望を滅し、解脱へと至る精神力が獲得できると信じられてきました。

シヴァラートリの日は、シヴァ神を崇めるもっとも神聖な日です。この日には、シヴァリンガムを崇めたり、あるいは、シヴァ神の御名やルドラムを唱えたり、バジャンを歌ったり、瞑想を行うことがすすめられています。またルドラークシャを身に着けるのにもっとも適した日であるとも言われています。
シヴァ・パンチャクシャラ・マントラ(オーム・ナマ・シヴァーヤ)も、この日に唱えることで、大きな功徳をもたらすといわれます。

シヴァラートリの日には、さまざまな言い伝えが残されています。

パールヴァティー女神とシヴァ神が結婚した日は、このマハー・シヴァラートリの日であるとも言われています。
またシヴァ神がタンダヴァの踊りを舞い、宇宙を創造したのも、この日であると言われています。
猛毒ハーラーハラが世界を焼き尽くそうとしたとき、神々の願いに応え、シヴァ神はハーラーハラの猛毒を飲みほし、世界を救いました。ハーラーハラは、シヴァ神にとっても強大な猛毒であったため、シヴァ神の首が猛毒で青くなり、このためにシヴァ神は、ニーラカンタ(ニーラ[青]カンタ[首])と呼ばれるようになった話は有名です。

**********

次はウィキペディアから。

マハー・シヴァラートリはシヴァ神の威光を称え毎年開かれている。単にシヴァラートリと呼ばれることもあるが、厳密には年に12回催されるシヴァラートリのうちで最も神聖な日取りに執り行われるものがマハー・シヴァラートリと呼ばれる

日取りは太陰暦に基づき、ファルグン(Phalguna)のクリシュナ・パクシャ(Krishna Paksha)、チャトルダシー(Chaturdashi)に執り行われこれはグレゴリオ暦の2月か3月にあたる。色々な説があり、ある説によると、この日はシヴァがパールヴァティーと結婚した日と考える、シヴァとシャクティの習合を物語る行事と見る、又ある説によると、この夜にシヴァ神が宇宙の創造、維持、破壊のダンスを踊ったと考えている、又ある説によると、シヴァ神が、サムッドラ・マンタン(牛乳の大海の攪拌)の時に現れた毒、ハラーハラ(Halahala)あるいはカーラクータ(Kakakuta)を飲み、彼の喉にその毒を留めて、宇宙を救ったと考えられている。それ故にシヴァ神の喉は青くなり、ニーラカンタ(Nilakantha)と言う名で呼ばれるようになった。

お祭りは、この夜が、シヴァ神を通して、自らと世界の「暗黒と無知を克服する」夜である故に、ジャーガラン(夜通し寝ないで、起きていること)をし、お祈りをすることが含まれる。 この日、信者達は、ヴェーダあるいは、タントラに基づいたお祈りをしながら、果物や、ビルワ(Bilva,アエグレ・マルメロ、Aegle marmelos、Bael)の葉、お菓子、そして牛乳をシヴァ神に捧げる。信者の多くはシヴァラートリの儀式が終わるまで(朝から次の日の朝まで)断食(完全な水も飲まないものから、水だけを飲むもの、あるいは水と果物だけで、御飯は食べないなど色々な形の断食)を行い、瞑想をする。シヴァ神のお寺では、聖なるシヴァ神のマントラ、「オーム・ナマ・シヴァーヤ(Om Namah Shivaya)あるいはオーム・ナモー・シヴァーヤ(Om Nomo Shivaya)」、すなわちパンチャークシャラ・マントラ(Panchakshara mantra)を一日中唱える。

この日は北半球の星の並びが良い作用を及ぼし、人々は容易に精神の力を高めることができるとされている。そのためマハー・ムリティュンジャヤ・マントラ(Mahamrityunjaya Mantra、死を克服する偉大なマントラ)などのような古代より伝わるサンスクリットのマントラによる効力が極めて高まる日でもある

マハー・シヴァラートリではニシタ・カーラ(Nishita Kala)がシヴァ・プージャ(礼拝)を執り行う上で最も理想的な時間帯とされている。シヴァ神がリンガの形を借りて地上に顕現した時間だとされており、最も縁起の良いリンゴードバヴァ・プージャ(Lingodbhava Puja)が執り行われる。

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次に、バリ島のシワラトゥリのお話をご紹介しておきましょう。
娘が学校で習ってきた話に、旦那の捕捉が入った程度なので、本当にこんな話なのかは謎ですが(笑)。
***************


Lubdakaという猟師が居た。ある日、森へと狩りに出かけたが、その日は全く獲物が獲れず、手ぶらで帰るのは妻に申し訳ない、と、Lubdakaは森で一晩過ごす羽目になってしまった。
地上で寝ると、虎に食われてしまう恐れがあり、木の上で寝ると、眠っている時に落ちてしまうかもしれない、ということで、彼は一晩じゅう起きている事にした。眠りこまないよう、彼は、木の葉っぱを1枚ずつ下に落とし、数を数えていることにした。
 丁度、その樹の下では、シヴァ神が瞑想修行を行っている最中であった。その樹の葉は、シヴァ神を讃える為の葉で、Lubdakaは期せずして、瞑想するシヴァを讃え、ひいては自分もシヴァの瞑想に同調し、自分も瞑想修行をするのと同じ状態になったのであった。
 この瞑想修行がシヴァに届き、Lubdakaは知らずのうちに、シヴァから恩寵を与えられたのであった。
 さて、一晩明けて、手ぶらで家に戻ったLubdakaは、前日に妻が用意しておいたご飯を食べたが、それは一晩のうちに傷んでおり、それが元で、Lubdakaは死んでしまった。
 だが、シヴァ神から、森での一夜の後、恩寵を受けていたLubdakaは、生前に狩猟で幾多の動物を殺した罪が浄化され、天界へと昇って行ったのでした。

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もうひとつ、もっと詳しいバリ島シワラトゥリの説明。

シワラトゥリ(Siwa Ratri/ Siwa Latri)は、‘シワの夜’という意味である。何故ならその夜に、ヨガをしているサン・ヒャン・シワとして神が姿を変えて現れるからだ。この聖夜は、第7の月プルワニン・ティラム・サシーの日に訪れ、ヒンドゥー教唯一神サン・ヒャン・ウィディ・ワサを前に、これまでの罪を懺悔する為の日となる。シワラトゥリは、又の名を、罪を溶かし失くす夜とも言われる。

シワラトゥリは、下記の行為から成り立つ;

1. ウタマの行為:
* モナブラタ(沈黙・誰とも会話をしない)
* ウパワサ(飲食をしない/断食)
* ジャグラ(眠らない)

2. マドゥヤの行為:
* ウパワサ(飲食をしない/断食)
* ジャグラ(眠らない)

3.ニスタの行為/これだけをする:
* ジャグラ(眠らない)

バリ島では、シワラトゥリは、時の高僧ンプ・タナクンによる話、‘ルブダカ物語’と関係がある。

ルブダカは、森で熊や獣を追って殺す狩人として描かれている。ある日、熊を捕らえる事も出来ず、夜になってビラ(ベルノキ)の木に登った。落ちて獣の餌になるのが怖いので、眠気を覚ます為に、彼はビラの葉を摘んで、一枚一枚下の池に落とすことにした。実際には、池のほとりにはヒャン・シワが鎮座する祠があった。ルブダカは、シワからの恵みを与えられ、死ぬ時にはそのまま天国へ召された。彼がそれまで犯した罪は、その晩寝ずにいたために、全て帳消しとなった。

このルブダカ物語から、我々は次のような解釈を得る:
狩人ルブダカは、現状に満足できず、欲を追い続ける我々そのものであると解釈できる。彼は常に、学問や知識を追い続け、美徳を追い続け、良い性格を追い続けた。だからこそ、彼は獣を殺す事ができなかった。殺されるべきものは、欲深い心、サッドリプ(6つの煩悩=性欲・強欲・怒り・混迷・泥酔・嫉妬)、美徳の教えに反する全ての行為である。

‘自身の中の獣の性質’ 全てを殺し終わった時、彼は熟考した。彼は、やたらに喋る事を止め、断食をし、最も暗い夜に一晩をかけて瞑想した。摘み取ったビラの葉と、それを一枚一枚落とすことは、神を讃えるマントラを唱えては、一粒ずつ繰り出す数珠玉と同じで、108回目で神からの恵みを与えられたのだ。その恵みとは、心の静寂であり、物質とは切り離された人生の幸福である。彼は、高い精神レベルに到達したのだ。そして、この世を去る時、彼は精神的な旅立ちの準備をした。ルブダカは、誰もが描ききる事のできないあの世、簡単に言えば天国での静けさを得たのだ。

このように、シワラトゥリの日は、一年の内最も暗い夜、シワの夜に熟考を行う日である。自身を覚醒させながら深く熟考すること、良く吟味した言葉だけを話すこと、断食すること、瞑想し何度も祈りを繰り返す事。我々は、いつこの世を去るか分からない。早いから、と、それを止める力も無い。

我々はかつて、シワの夜、シワラトゥリの日に熟考の一つをした事がある。人間ならば、長生きをし、次のシワラトゥリも、その次のシワラトゥリも経験することができるだろう。もし、毎年心を鎮め、深く熟考することができるなら、これほど幸せなことは無いだろう。

via Cerita Rakyat Pulau Dewata より

Hari Raya Saraswati バリ島ではサラスワティの日に読み書き禁止??

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バリ島のウク歴に基づいて、210日ごとの土曜日に祭祀が行われるサラスワティの日。

バリ人なら、子供のころに両親に、「今日は読み書き、勉強をしちゃいけない日だよ」と言われたことがあるでしょう。

私も、バリに嫁に来てから、サラスワティの祭祀の日は、「読み書きしない日」と教えられて、最初のころは真面目にそれを守って、本を読んだり、パソコンを立ち上げたりしていませんでした。その頃はまだ携帯電話が普及していなかったけど、今ならさしづめ、スマフォをいじったりもしなかったでしょうか。

「なぜ、学問と芸術の女神の日に、勉強しちゃいけないの??」という問いに、明確な答えはなかったけど、まあそんなもんなのかしら、と思っていました。

今はサラスワティの日だからと言って、読み書きしないわけではないし、サラスワティのお供え物を持ってお寺に行って、そこで携帯開いてSNS見たりしてます(;^_^A
今もこうして、サラスワティの日にパソコンでブログ書いたりしてるし。

子供たちに、「サラスワティの日って、読み書きしちゃいけないんでしょ?」と聞いても、「そんなことないよママ!!」という答え。

バリ島におけるサラスワティの日は、無知を払い、智慧を授けてくれたサラスワティの女神を讃え祀ります。知識に関する全ての本、筆記用具にも特別なお供え物が供えられ、学校の授業は休みになり、学生はお祈りのために学校に行きますが、勉強はしません。
学生以外は、村のお寺でサラスワティの祭祀が行われるのに参詣し、家庭でもお供え物をします。家にある本や筆記用具にもお供え物をします。

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なぜ、昔から、「サラスワティの日は読み書きしてはいけない」という言い伝えが残っているのかしら、とちょっと調べてみました。

サラスワティに行うべきこと、という古文書の中に、サラスワティの礼拝は、午前中に行わなければならず、その間、朝から正午までは、読み書き、特にヴェーダの教えに関するものの読み書きはしてはならない。完璧にサラスワティの日を過ごすならば、24時間読み書きはならず、それが無理な人は、正午からの読み書きはしてよいが、夜は、サストラ(宗教的文学…と訳すかな?)を読み、その他は瞑想と沈黙で過ごすことがよいとされる。
と、書いてあるそうです。

確かに、サラスワティの日は、あさイチから忙しく、午前中に家中の本や筆記用具を集めて、それらにお供え物をしますが、その間は読もうと思っても、お供え物が終わるまでは何も読めないし、筆記用具も使えませんから、そういうところから、巷の家庭では「この日は読み書きしちゃダメ!」
となったのかもしれません。

現代では、私の子供たちのように、サラスワティに読み書きしちゃだめ、なんてただの迷信、意味のない事、と思っているバリ・ヒンドゥー教徒も多いようです。

ですが、ヒンドゥー教は、各行事において何かを祝う際、祈り、沈黙、瞑想、断食によって1サイクルごとに神に近づくという面が有ります。
一つのサイクルの終わりと始まりの時に、完全な0ゼロに戻る、またはニュートラルに戻す、そして一歩また一歩と神に近づいていく。

例えばニュピ。前日は徹底的な外の世界の浄化を行い、当日は一切の火を使う行為を禁止され、料理もお祈りも明かりを使うことも禁止され、徹底的に暗月の暗闇の中で自己を浄化する、というように。

サラスワティも同様に、無知を払う智慧という光明を授けてくれたサラスワティ女神を崇拝し、我々が知識によってここまで発展してきたことを祝う日です。
その前の210日という1サイクルの最後の日、この日に全ての学習および教育活動、特に神の教えや精神的知識に関連する活動で、忙しなく回転している心を静める必要があるのです。

義務教育が発達した世界に生きている私たちは、週に一回、学校が休みじゃないとストレスで死んでしまう!!と愚痴っている訳ですよね(笑)
学校なんかなかった頃から教えを学んでいるヒンドゥー教徒にとって、210日に一度の学業の休み、それがサラスワティの日、なのです。

そういう背景をもう一度見直すと、各ウパチャラ(宗教行事)の際に昔から言われていることは、やはり真理を含んでいるのではと思います。

変わり行く時代に沿って、次第に内容が変化することは仕方ないけど、今一度、やっていることの本当の意味、を思い直して、真摯に日々の行事をこなしていこう、と思いました。

と、いうわけで、サラスワティの日に読み書き禁止、という厳重な決まりがあるわけではないけど、バリ・ヒンドゥー教のウパチャラの一つとしてみた場合、意味はあるのだな、というお話でした。


バリ人のお宅に滞在する際の注意すべきこと。

今日はバリのお家について。

バリ島内の高いパーセンテージを占めるバリ人は、バリ・ヒンドゥー教を信仰する家庭に住んでいます。
各家庭の敷地の一番神聖な場所(アグン山のある方向)には、必ず家寺があります。
そして敷地の中ほどには、トゥングン・カランという敷地を守護する祠、家の敷地内に川がある場合は、その為の祠があります。
お寺の無いバリ人の家、というのは存在しません。
日本仏教的に言うならば、バリの家は全部お寺で、バリ人というのは、全員が住職さんとその家族、なのです。

各家庭の敷地全体がお寺になっているので、バリ人のお宅にお邪魔する時、長期で滞在するような時は、若干の注意が必要です。

まず、家寺に入るときは必ず体を清浄な状態に保たなければなりません。生理中・出血中の人は入れませんし、入る前は身を清めます。お寺に入るとき、お供え物などに触るときは、必ずサロンと帯を着用します。
訪問先の家寺に入る場合は、必ずそこのご主人に許可をもらって、身を清めたのちに入るようにしてください。異教徒が入れない訳ではなく、作法をわきまえていない人が人が入るのがご法度なのです。
家寺は祈りの場であり、その家の先祖霊を迎える場であり、バリの人々にとっては一番大切な場所なのです。


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チャンディ・ブンタルと呼ばれる、割れ門がお寺への入り口です。正面に見えているのはサラスワティを祀るタクスの祠。

バリでは人体においても、一番高いところが神聖で、下へ下がるほど不浄、です。下半身は体の部位的には不浄ですので、敷地内の一番神聖な場所、家寺は、人体における頭の部分に当たります。

それを知っていれば、日常生活の場においても、浄・不浄の感覚が、おのずと分かってくるかと思います。

神聖なもの(お供え物関係、神具、本など)はなるべく高い位置、下半身に身に着けるものはなるべく下のほう。
頭に着けるヘルメットや帽子などは地面に絶対置かない。
または、下に落ちたものや置いてあるものを人に差し出さない。(お祈りで使い終わった花は下に捨てて二度と使いません。盆にも戻しません。)
神聖な頭は、神聖な方角であるアグン山に向けて寝る。神聖な方角に絶対足を向けない。(バリ島内では、ベッドの位置はかならずアグン山を意識して設置されています。)

それでいくと、洗濯物の干す場所や位置にも注意が必要なのが分かってきます。
下半身に着けるものは、腰より高い位置に干さない。これ鉄則です。
子供の服はこの限りではありませんが、生理の始まった女子の下半身に身に着けるものは特に注意が必要です。(経血は不浄なものとされています。)
よくホテルの部屋の入り口近くに洗濯物を干している、しかも高い位置にズボンなどを吊り下げている観光客を見かけますが、そうすると、バリ人であるスタッフはそこを通れませんので、お部屋のクリーニングなども困難である、ということを分かっておく必要があるでしょう。


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これは家寺ですが、大きなお寺の作りも基本的には同じです

敷地全体がお寺である、とは先ほども書きましたが、祠があるところは必ず浄化しておかなければならず、毎日のようにそこにお供え物をするバリ人の邪魔にならぬよう、祠への道筋(参道にあたりますね)上に洗濯物を干したり(特に下着や靴下、靴、ズボン、スカート、サロンなど)、汚いものを置いたりしてはいけません。

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こうやっていろいろ書くと窮屈そうに思われるかもしれませんが、異なる生活習慣の国で過ごす際に、相手へのリスペクトを忘れないという最低限のマナーの話です。
分からなければ聞けばよいのですが、こういう話はなかなかバリ人側からは言い出しにくい話ですので、記しておこうと思いました(^^)

皆様、楽しいバリ旅行を!

ガルンガン~真実と正義の勝利の日。バリ・ヒンドゥー教徒にとっての、ウク歴の集大成の日~

 引き続き、バリの宗教や文化や習慣について、以前書いた記事のリライトです。
今回は、時節柄、「ガルンガン」。


 ガルンガン、という祭日をご紹介します。
一般的に、神となった祖先の霊が家族の元を訪れる日、日本で言えば「迎え盆」のような行事と紹介されている「ガルンガン」ですが、バリ・ヒンドゥー教の教義に照らして言えば、正義の勝利を意味する、神聖な日である、ということになります。そして、ガルンガンの何日か前からガルンガンの翌日まで、関連した儀式の日が連続して続くのですが、これは抜かしたり省略したり出来ません。そう、実際は、一日で終るものではなく、5日ほど前からの前準備の儀礼も含めて、「ガルンガン」と呼ばれるのです。

まず、「ハリ・スチ・スギアン」という、ガルンガンに向けて準備を始める日から始まります。家寺や神聖な場所、各建物の清掃、そしてガルンガンの儀式に使うものの手入れを行い、家寺に「バンタン・ソド」という小さい供物を捧げ、祈ります。
これは、サンガやムラジャンと呼ばれる家寺がシンボライズしている、「大自然・この世界」を浄化する、という事であり、ひいては自分自身の浄化に向けて、準備を始める、ということなのです。「真実・正義」の勝利の日であるガルンガンには、この地球上の全存在が清浄な状態でなければなりません。でも、動物や植物には思考力も判断力もありません。ただひとり、「人間」だけが能動的、主体的に「浄化」について行動を起こすことが出来るのです。スギアンの日はそういう心構えで、各家寺で祈りを捧げる日なのです。

ガルンガンの3日前はガルンガンに向けて、準備が万端、整っている状態を指します。また、この日は「サン・カラ・ティガ」という悪霊が地上に降りる日でもあります。

パサール(市場)は、ガルンガンに向けてお供え物の果物や、ブスンなど必要なものを買い求める人々でごったがえします。余談ですが、バリ島では、こういう祭日が近づくと、果物やブスン(椰子の葉)など、絶対に必要なものは、値段が吊り上ります。値段を上げても絶対に売れるので、ここぞとばかりに売り手は商売に励みます。主婦達は少しでも安く、いいものを求めて、あちこち走り回ります。

この日になると、男連中が、そろそろ「ペンジョール」と呼ばれる、竹で作るお飾りのようなものを準備し始めます。
ペンジョールは、寺院での儀礼の際に門の前に立てたり、ガルンガンの祭日に家々の前に立てるもので、バリ・ヒンドゥー教の唯一神、サン・ヒャン・ウィディ神に対して、感謝の念を表すものだそうです。一説には、ペンジョールは、アグン山に住むとされる龍の神、バスキ神を象徴するとも言われています。バリ・ヒンドゥーの総本山、「ブサキ寺院」は、「バスキ神のいます所」という意味で、ペンジョールの椰子の葉の飾りは龍の背びれを表し、竹の先にぶら下がったサンピアンが龍の尾を表しているそうです。

このペンジョールを作るのは、おもに男性の仕事とされており、丁度いい形の竹を探して切り出し、あるいは買いに行き、それぞれ工夫をこらして飾り付けをしていきます。ガルガンの前日までには家の前に立てなくてはならないのですが、早々と立てる家もあれば、ぎりぎりまで大人も子供も一緒になって準備しているところもあったりと、なんだか日本の大晦日の風景に似ていなくもなく、微笑ましい光景です。
このペンジョールは、村ごとに飾りつけが微妙に違っていたり、豪華さを競い合ったりと、なかなか見ていて飽きないものです。バンジャールによっては、このペンジョールの素晴らしさを競う催しがあり、上位入賞者には賞金が出るそうです。このペンジョールが立ち並ぶガルンガンの朝に、大通りを歩くと、その美しさに目を見張ります。

そのペンジョール、一体何がぶら下げられているのかというと・・・
本体の竹(マヘソラ神)
白い布(イスワラ神)
米の菓子(ブラフマ神)
ココナツの実(ルドラ神)
椰子の葉(マハデワ神)
葉っぱ類(サンカラ神)
果物や稲、イモやトウモロコシなど穀物類(ウィシュヌ神)
さとうきび(サンブ-神)     *( )内はそれぞれ象徴している神の名

ペンジョールはサン・ヒャン・ウィディ神に、すべての災厄、とりわけ飢餓から守ってもらっていることへの感謝の念を表すものであるので、このように様々な大地の実りがぶら下げられているのです。ペンジョールの前には、必ず小さな仮の社(お供え物置き)が設けられますが、このサンガ・アルタ・チャンドラと呼ばれる祠は、先ほど述べた、龍神をシンボライズした龍の頭を表すとも、ブサキ寺院のサン・ヒャン・シワ神を表すとも言われます。

ガルンガン2日前のプニャジャンの日は、サン・カラ・ティガという悪霊の誘惑やそそのかしを、沈思黙考で打ち負かし、克服する日であります。
この日は、サテを作ります。そして、女性陣はガルンガンに供えてのお供え物作りの佳境、男性陣はペンジョールの仕上げや、ガルンガンに使う道具類の準備など、忙しさもまだまだ続きます。そして明日はいよいよプナンパン。

ガルンガンの前日は、「プナンパン」と呼ばれます。
この日は早朝から、「ポトン・バビ」と言って、豚を屠ります。何世帯かでお金を出し合って一頭の豚を屠り、解体して肉を分け合います。分けて持ち帰ったお肉で、早速、ラワールや、煮込み、揚げ物、腸詰ソーセージ、といったものを作ります。
このお肉は、ガルンガンが終って、クニンガンを迎えるころまで、延々と食べつづけられます。だから、なるべく日持ちするように揚げたり、煮込んだり、皮などは天日に干して、あとで揚げて、クルプッと呼ばれるオセンベイのようなものにして食べます。

プナンパン、の本来の意味は、「源泉への復帰」つまり、本来の姿への回帰、というほどの意味だそうです。そして、本来この日に供される「バンタン・トゥバサン」というお供え物には、目に見えるこの世の全ての現象・存在、また、目に見えない世界の存在、そのどちらの世界も、ネガティブなものはポジティブへと転換させ、神の領域と人間の領域、目に見えるものと見えないもの、肉体と精神、を調和・同調させ、バランスを取る、という意味があるのです。この儀式によって、地上に降りてきたサン・カラ・ティガという悪霊は、本来の姿、サン・カラ・ヒタという、神の姿へと戻る訳です。つまり、この重要なバンタンには、「ニュートラル(中立)な状態に戻す」という意味があるのです。

私の住む、ウブドにほど近い村では、プナンパン・ガルンガンの日はバンタン・ソドというお供え物だけ供えます。祭日のお供え物の供え方や、儀式のやり方は、地域によって随分と差があり、全てが全て、同じやり方、同じ意味合い、という訳ではありません。大きな行事の前には、村ごとに「式次第」のような、日程と、揃えるべきお供え物の詳細、などが細かく書かれたものが各家に配られ、村中がいっせいに行事を遂行できるようになっています。なので、この記事は私の住む地域に準じます、ということを、あらかじめお断わりしておきますね!

さて、プナンパン・ガルンガンに戻りましょう。この日はラワールを作り、お供え物をして、明日のガルンガンに向けて、最終仕上げをします。サンガやムラジャン(家寺)や、敷地内の祠に、ワストラという、きらびやかなカイン(布)やラマックで飾り付けをし、吊るし物を吊るし、傘を立てかけ、ノボリを立てます。まさに、「飾り立てる」という形容がぴったりの、この豪華さ!

夜になってようやくお供え物も全て揃い、家寺の「ピアサン」と呼ばれる建物の祭壇にきれいに並べられます。この祭壇には、菓子や果物を積み上げた「グボガン」というお供え物や、新品のカインやスレンダン(腰帯)を重ねて積んだものなどが並べられます。これは、家寺に降臨する神々や祖霊神に対して、様々な食べ物と新しい衣服を供する、という意味で、最上級のおもてなしを意味しています。猫やねずみに荒らされないように、きっちり締め切って鍵もかけるんですよ!これで準備は整い、明日を待つだけ。

このように、何日か前から準備に追われるガルンガンですが、私の住む家は、敷地は普通に大きなバリの家なのですが、家族数が少ないので、いつも人手が足りずに大忙し!おまけに一人息子の嫁が外国人なもんで(私です、すみません)、ほとんど手助けにならないし、毎回、大変そうな姑に申し訳なく思いながら、出来ることだけ手伝っているワタクシなのです。
いつも、夜中12時過ぎまで準備が終らずに、みんなげっそり疲れきる・・・。そんなとき私は、子供のころの大晦日を思い出します。母親が一人で、「ああ終らない終らない!」と言いながら夜中までおせち料理を作っていた姿を・・・。

さて、いよいよガルンガンの日がやってきました!
早朝から、調理したての鶏肉などのお供え物、新しい花々を使ったチャナンをセットして、お供え物の最後の仕上げをします。そして、「サンガ・グデ」と呼ばれる、本家の家寺に、お供え物を持っていきます。また、舅あるいは姑の実家にも、お供え物を持っていきます。  
村のお寺、プラ・ダラムにもお供え物を持っていき、ガルンガンの儀式に使う「ティルタ・聖水」を戴いてきます。この重要な「聖水」で家中を清めるのです。
聖水を戴いてきたら、すぐにお供え物を供え、家族みんなで家寺で祈りを捧げます。うちの家寺にも、嫁いでいった義姉や義妹たちがお供え物を持ってやってきたり、親戚達がお供え物を持ってきて、お祈りしに来たりと、ぽつぽつ人がやってきます。暑い暑い日中、一連の儀式が済むと、ちょっと休憩。疲れきってお昼寝する女性陣の姿も・・・。

ここですこし、ガルンガンの本来の目的とは?というお話を。
ガルンガン、とは、この大自然・世界の、光り輝く頂点の日である、とものの本には書いてあります。「真実の光へと到達する最終目的の地点」とも。
抽象的過ぎて、難しいですよね~。ガルンガンは、210日で一巡りするウク暦の頂点に当たる日なのです。この210日間に行われた様々な儀式の集大成、ともいうべき日でもあります。全てのバリ・ヒンドゥー教徒が自らの行いを正し、取り組んできた「真実の勝利」への道の、集大成。
このガルンガンの日、神がサン・ヒャン・シワ・マハデワとなって、全ての神々、祖霊神、とともに地上に降臨します。神となった私達の祖霊神は、子孫達の「良き人間としての行い」を見たいと願っています。なぜなら、この世での、われわれ子孫の善行が、あの世での祖霊神の立場にも影響を及ぼすからです。
すでに古典となったミゲル・コバルビアスの著書「バリ島」に、「バリ人が神々のことを言うときには、数知れぬ種類の守護霊たちのことで、それはみな、なんらかの意味で祖先の概念と結びついている。中略~いずれにせよ、祖先こそが人々にとっていちばん身近で最初の神々であり、祖先を祀ることはこの世と霊界のつながりを築くことである。」という一文がありますが、私もこれには、なるほどな~と深くうなずきました。バリ・ヒンドゥー教は、あきらかにインドのヒンドゥー教とは異なるのです。このへんの事情から、「ガルンガンとは迎え盆」という風に、ガイドブックなどに書かれるようになったのではないか、と思われます。
ガルンガンとは、ウク暦におけるバリ・ヒンドゥー教の、ひとつの集大成の日であり、バリ・ヒンドゥー教徒にとっては一番大切な日なのです。

話を現実に戻しましょう!お昼寝の時間は過ぎて・・・
夕方3時頃になると、今度は「ルンスール」と言って、お供え物を下げてまわります。何しろ量が膨大なので、お下がりを仕分けるだけでも一時間はかかるのです!みんなお下がりのお菓子や果物をつまみながら、おしゃべりを楽しみながらお供え物を整理して、什器を片付けていきます。このあと、夜にかけては、子供達のお楽しみ、「バロンの巡行」があるのです。
ガルンガンの日には、プラ・ダラムに安置されているバロン(獅子の姿をした聖獣)とランダ(強い魔力を持つ魔女)が出揃って、ガムラン隊を従え、村の辻々を巡り歩きます。
私の住む村は、「クロッド(海側)」と「カジョー(山側)」の二つのバンジャールに分かれているのですが、この日はカジョー側のバロンとランダも一緒になって、巡行します。
このとき、何箇所かで「お布施集め」があり、その場でバロンは踊りを披露します。このお布施は、今後、バンジャールの管理の元、お寺の維持や、村の行事のために使われます。
新調した正装で、村人が大人も子供も、その巡行に付き従います。小さな子供達は興奮して夜遅くまでついて行きたがるのですが、大抵は途中で眠くなって最後のお寺まで付き添うことはできません。こうして、ガルンガンの長い一日は終ります。

 ガルンガンから10日後のクニンガンまで、到るところで、子供達の「バロン」が練り歩きます。小額のお布施を稼ぎに、自分達の村を出て、「遠征」するバロンも珍しくありません。小学生達のあやつる、つたないバロンから、村の青年団による、かなり本格的なバロンまで、一日中、何回も目にすることが出来ます。私の住む村では、決まって夜の7時ごろ、村の子供達がバロンを操って、各家をまわって、門付けを集めます。小さな子供達は大喜びで、どこまでもついて行きます。日本でも、昔は獅子舞の門付け、というのがあったのですよね。きっと似たような感じだと思います。

 ガルンガンの翌日は、ウマニス・ガルンガン、通称マニス・ガルンガンと呼ばれる日です。本来は、ガルンガンのお供え物を、下げる日(ルンスールといいます)なのですが、どこの家もガルンガンのその日に全部片付けてしまうので、この日は小さなお供え物、バンタン・ソドだけを供えて、各家寺でお祈りし、ティルタ(聖水)を戴くだけです。そして、その後、人々はみな着飾って、親戚や実家、または親しい友人の家を訪問しあったりして、ゆっくりと休日を楽しむのです。

 このように、ガルンガンには、仕事や学校や結婚などで、遠く離れて住んでいる人たちも、みな実家に帰ってきます。そういう意味では、日本のお盆やお正月に当たる、といえるでしょう。

 ガルンガンの4日後に、ハリ・スチ・ウリアンという日があります。この日は神々が元の場所に戻る日であり、決められたお供え物を供えます。その翌日は、サン・カラ・ティガ(悪霊)が元の場所に戻る日とされています。
このように、ガルンガンは、その後も小さな行事が続き、10日後のクニンガンを迎える訳です。

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