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ぷらさん亭

Author:ぷらさん亭
バリ島で娘一人、息子一人、旦那とその両親+犬、猫、庭のジャングルにいる様々な動植物と一緒に暮らしています。
獅子座・A型

UBUDで宿を始めました。
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NGABEN 主観的追記。

NGABENについて、もう少し記しておきたい。

 前回は、本の引用が主であった。
今回は、私の主観が多分に入ると思う。

 バリのガベンの取り上げられ方について、私が少々違和感が有るのは、例の、あの、毎年のように行われる「今世紀最大のガベン」である。
何年か前の、空前のスケールのウブドのチョコルド王家のプレボン、それから毎年のように行われる大掛かりな火葬式。
 90年代に、もっともっと規模の大きなお葬式を、ギャ二アールまで見に行ったことも有る。

 ただ、そこだけクローズアップされているが、バリの人たちの死んだ時、というのは、火葬式、だけではないのであって、死んだ直後から、最後の最後、火葬に至るまでのプロセスが興味深いのであり、実は私達日本人の葬儀の仕方と、さほど変わりはないのではないか?
 それに、あの仰々しい火葬式は、実は本当に稀なものであって、普通の行事ではない、ということ。
 
プトゥ・スティアの本にも書いてあったではないか。

 昔は、火葬は見せものでは無かった。バデを用いるような大規模な火葬はめったになく、行列もない。都会でだって田舎でだって、火葬はたいがい簡素で、遺体を運ぶ御輿は一層しかなく、簡単な飾りしかないし、しかも少人数しか参加しないのだ、と。

 以前も書いたことがあるような気がするが、私が初めてバリに来た、23年前、初めてのバリで、葬式と結婚式を連続で、見た。
 今思うと、あれは、UBUD近郊のどこかの村だったと思う。その当時は、まったく地理も分からず、聞いた名前や地名もまったく耳に残らず、マリンスポーツと夜遊びに終わったバリ島滞在であったが、その時の葬式の様子と、バトゥブランで見たバロン・ダンスが特にくっきりと印象に残っている。

 バリの葬式は、私にとって、かなりの衝撃であった。
その時の葬儀は、火葬式ではなく、埋葬だけだったのか、と記憶している。(もしくは火葬だったのかもしれないが、その時のそれは記憶に残っていない)
 ただ、死者の家で、トペン(仮面)舞踊があり、行列にぞろぞろついて行ったのを覚えているので、あれはやはり火葬式だったと思われる。今から思えば、田舎の、昔の、素朴な?葬儀だったのだと思うが、日本でもろくに葬式に行ったことが無かった私は、その人の多さに驚いた。
 その時の私の衝撃とは、「人が死んだというのに、誰も悲しんでおらず、なんだかお祭りみたい」という、いたって素朴なものであった。踊りが有って、歌、のようなものがある。人々は和やかに談笑しているではないか。

 率直に言うと、その翌日に見た、結婚式(これも、田舎の素朴な結婚式であったが、ハイ・カーストのカップルだったと記憶する)と、あまり違いが無いように感じられた。

 私は、「死」という概念に関して、人並み、もしくは少し人並み以上にシリアスに考える性質で、幼いころから、「死ぬ」ということは恐怖であった。死の周辺に関する出来ごと、「お葬式」などは、参加しただけでその「死」の気配を被ってしまう、と思い込んでいたくらい、遠くて怖い、そんなイベントであった。

 なのに、このあっけらかん、とした様子は何事だろうか。この、晴々しさは何なのだろうか。

 そこへの疑問が、バリに惹きつけられ続けた最大の理由だったかもしれない、と今は思っている。


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 人は、みな等しく死に向かって、ひたすら生きている。生まれた瞬間から、絶対に死ぬ、いつかの瞬間に向かって、黙々と歩を進めている、と言ってもいいだろう。
 いずれ死ぬのになぜ生まれたのか、とか、生きているという実感を哀れなほど追い求める人間の性に、何か理由づけを、とか、子供の頃(青年期含む)は、必死になって探し求めていた気がする。

 バリに来てからは、シンプルに、食べて飲んで眠って、子供を作って産んで育てて、という、動物としての人間の、一番シンプルな部分、「生活」で忙しなく、「生について」「死について」などと、哲学的に思いを巡らせている余裕が、はっきり言って無かった。
 そこが、私がバリが好きな所以である。人もイキモノ。誤解を恐れずに言うと、家畜の生態と、それほど変わらぬ生き方を、自然に沿って行っている。
生病老死を、これほど当たり前に、自然に、そして丁寧に行っている人々も珍しいのではないか、と思う。
 そこには、生きるための動機づけ、なんていう、オシャレな概念は存在しない。

 生まれてきたから生きて、そして死ぬ。

それだけ。

 ただし、人間として。

 その「人間として」の生を全うするにあたっての一大イベントが、ガベンなのである。


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上の写真は、先日のプンブルシアンの儀式の後、沐浴場にて清められた遺体(のシンボル)が、ペタという斎場(儀式をとり行う祭壇の場所)に戻る時だ。家族に清められ、抱かれて、ペタに戻っていく。

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なんだか晴々としていて、あとからこの時の写真を見返して、ああ、いいなあ。これが死ぬってことなんだなあ。と思った。
死の苦しみが有り、遺族の悲しみが有り、生きていたからこその諸々の問題も有っただろうが、今日のこの日、あとわずかで待ちに待ったその時がくる、そういう清々しさを感じる。

 重要なのは、遺族全員が参加する、ということである。どんなに遠かろうが、死者と血縁関係に有ったものは、等しく全てこの儀式に参加するのである。
 今や、祖父母の死に目、葬式にも行かない(行けない、というのは行かない、と同義語である)私である。なんという違いであろう。

 このこともあって、バリ人には遠くに嫁に行く、という事があまり無かったのであろうと、今となっては実感される。嫁に行くのみならず、結婚して家から遠く離れることがあまりない、というのも。

 ヒンドゥーの教えの中に、人は皆、自分を産んだ両親に借りが有る、と、前回引用した。
これは、両親の人間性に、ではない。苦労して子供(わたし)を育ててくれた、お父さんとお母さんに親孝行せねば、ではないのである。
 つまり、kama bangと kama putih、つまり、自分の誕生をもたらした、男性配偶子と女性配偶子への借りである。この二種類カマ kama の借りは、火葬儀礼によって完済されるのだ。

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ペタに入る前に、長い儀式が行われるのを、じっと待つ人々とこの儀式の主役たち。
ペタに入って、再度、祭壇に配置されたら、あとは翌日の火葬式を待つばかり。
あとは、nyuwung 、大きな儀式の前に静寂を保つ。すべて、もう完了したのだ。供物類も、火葬御輿も、沐浴も。

 お支度、全て整いました、の状態である。


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火葬にかかる供物の数は膨大で、だからこそ合同で行われる所が多いのである。1人分をその都度、寄り集まって作っていたら、一年中、それで終わってしまう。

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亡くなった叔母が埋められている場所。共同墓地には、この村の亡くなった人全てが、埋められている。もう、生命の消え去った、魂が離れた、そういう儀式を数々なされた、自然に返されるべき肉体が。


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自前で棺桶やバデを作らなかった人々の簡素な棺桶。全部同じ形であり、各々死者の名前が入っている。前の部分には、仏教徒にもお馴染みの、地獄の裁判図が描かれたものが貼られている。
棺桶の大きさに関わらず、全肉親がこの周りを取り囲んでそれぞれに儀式を行うので、墓地はこの日はすごい人だ。数が多いので、一斉に、滞りなく火葬を終えるために、人々はぴりぴりしている。

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 祖母を亡くした幼い子供。きっと、お祭り騒ぎでおばあちゃんを見送った思い出として残り、これからも幾人かの親戚を見送っていくのであろう。  

 バリと関わりだしてから、何回も葬式に参加し、あるいは見学しているが、やはり、年々火葬式も大掛かりになり、派手になっているのだと感じる。
 ウブド郊外の田舎のわが村でさえ、前回の合同葬儀よりも、バデやルンブーの数が増えていた。
 しかし、ほんとうに、富裕の差、職業の貴賎無しに、すべて等しく各人に「同じ儀式」が行われる。
大きなバデは、結局墓地に入りきらなかったので、道端に置かれ、そのまま解体された。誰かが特別扱い、なんてことはなく、ただひたすら、間違いなく、滞りなく儀式を終わらせる、その強い意志を感じた。
 
 全てを燃やした後は、チャンプアンまで灰を流しに行き、この日、終了したのは夜11時ごろであった。

 私自身は、亡くなった実母のその後の法事も、二人の実祖母の葬儀にも、出れていない。帰国していないからだ。そんな私だが、バリ人の主人の親戚の葬儀にはせっせと付き合っている。

 なぜなら私はバリに嫁ぎ、主人の家族となり、ゆくゆくはこの共同墓地に埋められることになり、私の息子が私の火葬儀礼をとり行う事になるであろうから。
 私達の子供達が、これからもカマの借りを滞りなく返済し続けて行かれるように。







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NGABEN バリの火葬儀式

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今年に入っての、わが村での大きな行事、Ngaben 火葬式、が6月13日に執り行われた。

バリ島、といえば、壮大なスケールの火葬式を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。

大抵のバリ島についての写真集・ガイドブック・特集番組では、この火葬式について取り上げられている。

今日は、バリの葬儀事情について、少しご紹介しようと思う。

 まず、「バリは火葬」という認識は、半分当たっているが半分は違う。

 村によっても違うのだが、大概のバリの村は、何年かに一度の、合同火葬式、という形式をとっている所がほとんどだ。合同葬儀までの間は、村の共同墓地で、土葬されている。
 私の住んでいる村の場合は、土葬された遺体を掘り起こすことはせず、そこの土のみを遺体の代わりとして火葬に附す。なので、これは実質、「遺体を」という意味では、土葬ではないだろうか。

 それでは、何をもって火葬、というのか。

 私がバリ島についての名著だと思っている本「プトゥ・スティアのバリ案内」という本から、かなり長いのだがガベンについて引用させてもらおう。これらの文章が、一番、端的に「バリの火葬式」を語っていると思う。

以下、黒字部分は、「プトゥ・スティアのバリ案内・木犀社」より抜粋。
青字部分は、今年のわが集落、プネスタナン・クロッドのガベンの様子を記す。

 火葬とは肉体をまっとうすること、人間の肉体を形造っている諸元素を自然に返すことだ。死ねば、魂(Sang Atoma サン アトマ)が出て行って、肉体が残る。だからその肉体はがらくたと変わらない。ゴミと同じですぐに焼却しなければならない。
 肉体(小宇宙)を形造る諸元素は、大宇宙にあるものと同じである。
肉体を形造る五大元素(Panch maha bhuta)=地 Pertiwi、水 Apah、火 Teja、風 Bayu、空 Akasa から成る諸元素は、自然とまったく同じであるだけでなく、自然の元素を借りてもいるのだそうだ。魂が肉体を離れたら、この借りたものは返さねばならないのだ。

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ガベンの際には、豚を多数、供物として犠牲にする。火葬式の際に捧げられる子豚のバビ・グリン

 さまよう霊魂が最後の休息場所(極楽、あるいは地獄)を速やかに得るためには、借りの返済は早ければ早いほうがよい。死体をただ埋葬しただけだと、土と同化する過程はもちろん何十年もかかる。その間、魂の方は借りのあるままで、休息の場所へは、心穏やかでないのでなかなか行くことができない。それだから火葬儀礼があり、相続人がそれを行うのだ。

 火葬儀礼はまた、相続人の義務、借りを返す義務ともなっている。ヒンドゥー教の教えによると、人はみな自分を産んだ両親に借りがあるのだ。この借りは、火葬儀礼により完済されると考えられている。

 火葬儀礼だけでなく全ての儀礼には、残された人間の、情熱・感情・感激・優美さ・礼儀・体面・自己顕示欲といったものを満足させる必要が有り、これらの満足はすべて、宗教によって道を与えられている。

 火葬儀礼の義務を遂行するにあたって、バリヒンドゥー信徒たちに保障されている三種類の方法:
Nista(低位) Madia(中位) Utama(高位)。この三つの方法はさらに三つに分けられる。儀礼の進行に影響を与えるのは、こうしたいくつもの等級で、これが供物の大小を生み、費やされる時間、かかわる人間、支出する費用に関係する。

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 この火葬儀礼の等級は、「カースト」とは関係がない。
「カースト」というのは、宗教的な教えによるものではなく、社会的役割によってつくられた人間の分類である。
 火葬儀礼の大小、そしてその費用は、儀礼をする必要が有る家の社会経済的状況により決まる。お金が有れば、血筋を問わず、もっとも高い等級の方法(Utamaning utama)でできるのだ。

 集団火葬には、普通はだれかが主催者となる。火葬儀礼のクライマックスの一か月前から、人々は儀礼の準備に寄り集まって、忙しく働き始める。儀礼のクライマックスの7日前、遺体を掘り起こす。これをMungkah ムンカ―という。
 その翌日は、火葬便乗組が墓地にやってくる。遺体を掘り返すのではなく、遺体の象徴として、墓地の土を適当なだけ取るのだ。このように象徴的に遺体を掘り出すことを、Nyewasta ニュワスタ と呼ぶ。死体を直接火葬にしない火葬儀礼という意味だ。
 翌日はプンブルシアン儀式、人形のような形の遺体の象徴(骨であれ土であれ)Pengawak プンガワッを、沐浴場で洗う。

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プンガワッを抱いて、沐浴を済ませ、ペタ、と呼ばれる斎場に戻る遺族の行列。

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 火葬儀礼のクライマックスの二日前を、Nyuwung ニュウンの日と呼ぶ。大きな儀礼の前に静寂を保つ、という意味だ。その日の夜には影絵芝居が上演される。パンダワ兄弟が聖なる水、ティルタ・アムリタを捜し求める話で、スクリーンで、パンダワが激しい戦いののち、ついにその聖水を獲得した所で、影絵芝居師 ダラン も、翌日の儀礼に必要な聖水をつくった。この聖水は、翌日、墓地で遺体にまかれる聖水の一種である。

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儀式の際に呼ばれる、影絵人形師・ダランは、聖職者同様、重要な役割を担っている。


 Palebon プレボン と呼ばれる、火葬儀礼のクライマックスでは、朝早くから火葬御輿が公開され、ムラスパサン(浄化)儀礼を行う。

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プムラスパサン。大きな火葬御輿は前夜、トラックで運ばれてきた。今回、自前で御輿やルンブーと呼ばれる棺桶を作った家も、多数あった。


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自前で用意しない場合は、バンジャールで用意された、魚の形の台が、プンガワッの台座となる。

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 遺体(の象徴)は、御輿の内部にしつらえた空間に運び込まれる。御輿の土台には、グンデル・ワヤン・クリッという楽器がひと揃いあって、奏でられ、霊魂が肉体を離れていく旅について行く。
 墓地への行列の間、バラガンジュールの銅鑼が激しく鳴り響き、御輿の担ぎ手たちの気持ちを奮い起こす他に、この銅鑼はまた、死者の肉体をうけとる五大元素を起こす働きもあると言われる。

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火葬儀礼の際の、バラ・ガンジュールは、特別に遺族をトランスに入りやすくさせると言われ、御輿の担ぎ手や遺族などがトランス状態に陥らないよう、村の警備団は特に慎重になる。一歩間違えば大事故になりかねない、大掛かりな行事でもあるし、あの世にひっぱられてしまう人が出ないよう、最新の注意が必要だ。

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オゴオゴの時もそうであるが、村の中心の十字路、そして、村のプラ・ダラムの前の交差点で、御輿は三度、ぐるぐると回される。いよいよこの村を最後に去り、そして戻って来ないように、方向を分からなくさせるそうだ。

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 墓地では、遺体を降ろす前に、遺体の近くに置いてあった鶏を投げる。これもまた、霊魂が肉体を離れて行こうとしている事を象徴している。

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肩に担がれているのは、遺骨、もしくは土を包んだ遺体の代わりだろうか。

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墓地での儀式の間、村の全ての人々、よその村からきた遺族が集まって待っているので、墓地内は身動きもならないほどの混雑だ。燃やされるまでの間、長い時間を待つ。

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燃やす前、遺族が供物を持って、三度、ぐるぐると遺体の周りを回る。

司祭が儀礼を執り行ったあと、遺体は三本の線香で象徴的に燃やされ、それから埋められる。

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 プトゥ・スティアは、最後に、あるバリ人の言葉でこの火葬式の章を終えている。

 「火葬儀礼は単に祖先の魂のために葬式を出すという事だけではないからね。盛大な火葬は芸術を活性化し、社会的な絆、助け合いの精神を育てるという事も意味する。
 盛大な火葬はいつまでもなくならないだろうな。盛大な火葬は昔は王族の家で行われる事が多かったものだが、王侯貴族の家柄でないとしたら、王宮外の別の所、裕福な家で行われるのだろうな。」


 確かに、毎年のようにウブド王宮では「今世紀最大の」火葬式が執り行われ、その都度大きく報道され、観光客はつめかけ、お祭り騒ぎはエスカレートするばかりに見えるが、もちろん、火葬儀式は観光用に執り行われているのではない。
以前、ブログでも、人が亡くなってすぐに執り行う埋葬までの儀式を紹介したが、それと火葬式を併せて、初めて人は人としてこの世を全うするのである。

 皮肉にも、ブサキ寺院の100年に一度の大祭、エカ・ダサ・ルドラの儀礼計画の際に、倹約した火葬儀礼の啓もう活動を成功させ、集団火葬儀礼という新種が登場した、ということであるが、1963年、貧困にあえいでいたバリの人々も、実際のエカ・ダサ・ルドラの行われた1979年には生活も向上し、現在にいたっては富裕層も増え、政府はもう、「火葬節約」の宣伝をすることもなくなった。
 節約するのも、結構。派手にするのも、禁止はしない。
 ということである。

 いずれにせよ、火葬とは、大掛かりな大騒ぎではなく、人間の肉体を形作っている諸元素を自然に返すこと、この根幹がバリに根付いている限り、無くなることのない、ユニークな儀式であろう。


今回の、このガベンの様子を紹介した、ワルン・ソフィアの女将のブログ
ウブド極楽生活

今回のガベンで一緒に儀式を行い、村一番の大きなバデをしつらえた、スペイン人の画家、故・アントニオ・ブランコの奥さん、ロンジーさんについて。
ANTONIO BLANCO&NI RONDJI

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