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ぷらさん亭

Author:ぷらさん亭
バリ島で娘一人、息子一人、旦那とその両親+犬、猫、庭のジャングルにいる様々な動植物と一緒に暮らしています。
獅子座・A型

UBUDで宿を始めました。
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バリ島で地下水が枯渇するという問題。

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 一般に、水源を多数有するバリ島は、水が豊富な島だと思われている。
だが、実際には、乾季には水不足に陥る地域も多い。

以下、Wikipediaより抜粋。
バリ島周辺はサバナ気候に属し、その季節は、北西季節風の吹く雨季(10月 - 3月)と、南東季節風の吹く乾季(4月 - 9月)とに明確に分かれる(この季節風による荒波によって海上交通が困難であったことが一因となって、以下に見るようにバリ島は島外世界から相対的に独立性を保った歴史的発展をとげることになった)。乾期の間は東部、北部を中心にたびたび水不足に陥る。また雨季といっても、一日中雨が降る訳ではなく、実際には多くても一日に2 - 3時間のスコールである。ただし、ひどいときには道路が30cmほど浸水することもある。
一年を通じて気温の変化はほとんどなく、年間の最低平均気温は約24度、最高平均気温は約31度、また、平均湿度は約78%である[4]。いつでも暑く湿度も高いが、体に感じる暑さは、海からの風によって和らげられている[5]。

 そして、最近、気になる記事を目にした。

「バリ島の水危機を救う鍵はバンリにあり」

バリの浄水の状態は危機に瀕している。
恐らくこの5年の間に、無駄な消費増加による地下水の吸い上げで、バリの地下水は枯渇するだろうといわれている。
無駄な水の消費の最も大きな原因は観光業に関するものであるが、皮肉な事にバリの一般庶民の生活水準が上がったことにも原因がある。
インドネシアホテル・レストラン協会会長チョコルダ・オカ・アナッ・アグン・スカワティ(通称チョッアチェ)氏は、以下のように話している。
バリの地下水の不足は全体的、または上流・下流のすべての地域に策が必要で、断片的な一部地域の問題ではない。また、建築物の為に開放・閉鎖されている地域を分割する地域地方自治政府により定められた地域と区画は、一貫して適用されるべきである。
バリ島の観光からの影響で、バンリ県も他の地域と競うようにホテルなどの観光施設の構築をしようとしている。しかし、バリ島の重要な緩衝水地区としてのバンリ県の性質と役割を考えずして建築物を建てようとすれば、バリ島全体が生態学的損失を蒙る。地方を守る為の権威を与える地方自治の法律は、エゴを生み出し、ますます利己主義に走っている。
本来、一つの地方に必要なものは、他の地域とも関わりがあるものだ。観光地の中心地から発信されるエゴは、それを供給する地域にも問題を引き起こす。

財団法人IDEPによれば、水の需要の増加に比べ、供給量は20%しか残っていないと言う調査結果を出している。また、地下帯水層への浸透・海水侵入はバリ島のあちこちに見られる。早急な措置を行なわなければ、5年以内に、今の危機に瀕している地下水の状態は、特に観光の中心地に、生態学的災害を引き起こしかねない。

地域整備における水の危機を軽減する一つの技術策とは、ビルフロア係数対策(Floor Area Ratio/FAR)と基本的建築物係数対策(KDB)だ。FARは、基礎床面積と土地面積の比較。一方、KDBは、土地の表面を覆う建築面積の量を調節することを目的とする。
これは、将来バリ島の地下水の供給に大きく影響していく。地下水を守る以外に、建築物に覆われていない土地表面は直接太陽光線を浴び、土地を乾燥させ、建築物周辺の空気は湿り気を帯びない。現在、シティーホテルが乱立しているが、緑地を作らない状態で建てられている所が多い。州政府は、一貫して敷地内に緑地保持を強制していく必要がある。

ギャニャール県のいくつかのホテルで例を挙げれば、FARを適用している所では、敷地の40%が建築物を建てても良い土地で、60%が建ててはいけない土地だ。ホテルの価格が高くなるのは仕方がない。ギャニャールの土地自体が高騰しているのだから。via Tribun Bali


 というものである。
 バリ島の地下水が枯渇する、とは、迂闊にも考えたことがなかった。気候、天候の不順により、今年は雨が少ないなあ、という不安は抱いたことがあるが、この五年の間に「枯渇する」などとは思ってもみなかった。

 しかし、このバリ島に、一体何人の人間が生活しているかと考えれば、需要が爆発的に増えており、供給が当然間に合わなくなる、というのは自明のことであった。

 以前、結婚してバリ島に本格的に住みだした頃、日本に帰国して実家の母に言われた言葉を思い出す。私は台所で洗い物をしていたのだが、それを見ていた母が
「水の少ない所に住んでる人の洗い方やなあ」
と言ったのだ。
えっ?もっと綺麗に流せってこと?と聞いたら、いや、違う違う、水を大事に使ってるなと思ったんよ、ということであった。

 現在暮らしている、バリのこのPRASANTI のある家では、当時、水道を使ってはいたが、二か所の蛇口から、水がめに水を溜めて二か所の台所で使っていた。「流し台」なんてものはなく、地べたに盥を二個置いて、それで食器を洗っていたのである。
 トイレ・風呂場にしても然り、溜め桶から水を使っていた。

 いちいち溜めて使うので、面倒くさいのである。何回も水を替えて、また溜め直して、というのが時間も体力も使う。それで、必然的に、最小限の水で洗い物をすることになる。そして、当時はよく断水した。うちは水道水しか使っていなかったので、断水するともう、裏の川で洗濯してマンディ(沐浴)するしかないのである。

 そんな生活を何カ月か続けるだけで、水を少しづつ使う、というのが習慣づいていた。

 うちの家では、旦那が小さい頃は、水道も来ておらず、村人は川や湧水まで水を汲みに行って、それを生活用水にしていた。お風呂は、川や、村で共同の水浴び場で。ご存知のように、インドネシア人は、朝と夕に必ずマンディ(沐浴)をする。時には、一日二回以上、お寺に入る前には必ず沐浴する、世界でもまれな綺麗好きの人々なのである。熱帯で汗をよくかく地方の人々はすべからくそうであろう。
外国人が大挙して押し寄せる以前は、村に流れる小川の水も綺麗であったろうし、そんな小川で沐浴するのは、さぞ気持ちがよかったであろう。

 我々日本人を含め、蛇口をひねればじゃばじゃばと水が出る、安定した水供給の国から来た人間にすれば、昔ながらのこのような生活は不便極まりない。と言う訳で、外国人向けの宿泊施設には、まず水回りが充実した建物が次から次へと建てられるようになり、その結果、外国人が自国で生活するのと、さほど変わらぬくらいの水設備が整ってきて、どんどんどんどん水の消費量が上がった。
 加えて、上記のニュース記事にもあるが、ローカルの人々の住宅事情も向上し、水が豊富に(表面上は)使える環境が整ってきた。

 だが、そんな今でも思うのだが、我々日本人は、なんと水を沢山使うのだろう!ということだ。
一つには、清潔好きでなんでもかんでも、すぐに洗う。自分自身も、衣服も、装身具も、食器や道具やなにもかも。
そういう感覚のままでは、バリ人の生活を、不潔だ、と感じる場面が多いかもしれない。汗臭い(主に衣服が)、食器やグラスや鍋の外や裏側を洗わない、などなど、、、
 食器の洗い方などは、本当に今でも私はしょっちゅう小言を言い、洗い直したりして、自分でも、「うるさいのかなあ、私?」と思わなくもないが(笑)、まあ、今まで彼らはそれでやってきて、別にお腹を壊したりもしていないのであるから、大丈夫なんであろう・・・。

 以前、カランガッサムの、アグン山の中腹にある寒村に何日か滞在した時に、村の人々を見ていて思ったことがある。
カランガッサムの人々は、ウブドの人間とは、喋り方も外見の感じも、違う。悪く言えば、田舎の人だなあ、という感じなのだが、何がそう見えるのかと考えたところ、ひとつ、思い当たることがあった。
この村の、お金持ちそうな人もそうで無さそうそうな人も、総じて足の先が汚れているのである。
ああ、水が少ない所で生活している人たちなんだ、とその時思った。
 実際、カランガッサム地方は、雨が少なく、慢性的に水不足な土地柄である。火山の麓であり、溶岩に覆われた、乾いた土地では水田も無理であり、栽培できる作物も限られている。水がないから、蚊が発生する余地もなく、だからデング熱も無いのよ!って言っていた。

 自分も家が断水五日間だったときに経験したが、水が少ないと身体の洗い方も変わってくる。一番洗いたいところ優先(笑)で、足の裏とか、耳の後ろ、とか、髪の毛、とかは後回しになるのだ。

 まあ、それでも別にどうっていうことはない。病気が蔓延しない程度には清潔に出来ていれば、それで死ぬってことはないのである。

 何が言いたいのかと言うと、旅行で来るにしろ、在住者で有るにしろ、我々、バリで生活する外国人は、もう少し、この水不足問題を考えねばならない、という事だ。今現在、じゃばじゃば水を使えていたとしても、現実問題、この五年以内に、バリ島の地下水は枯渇する、と言われているのである。外国人だけの問題じゃない、と言われるかもしれないが、私の見る限り、今でもバリ人は、我々のように水を消費はしていない。
だとすれば、ここに楽しみに来ている、住まわせてもらっている、Tamu(客人)である我々が、少しでも意識をして、水を大切にしていくことが、このバリ島をいつまでも「緑うるわしい水の島」というイメージのまま存続させられる、ひとつの助けになるのではないだろうか、と思うのである。




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"BAR"@ Cupit BBQ Penestanan kelod

 うちから徒歩圏内の「Cupit BBQ」、美味しいポークスペアリブが食べられると評判のレストランです。
某有名スペアリブ店と比べても遜色ない柔らかさ・美味しさ。お値段は現在6万ルピア。ボリュームも満点です。
トリップアドバイザーでの評価も高い、欧米人の顧客の多いレストランですが、ローカルの家族連れもよく訪れています。

 スペアリブ以外も、インドネシアン、西洋料理とメニュー豊富です。

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 おすすめスペアリブ。ボリューム満点です。付け合わせはフレンチフライか、ライスが選べます。

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 シーザーサラダも、非常に美味。下に鶏肉も入っていて、これだけでも結構お腹いっぱいに~。

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 テーブル席もゆったりしていて、居心地バツグン。プネスタナンの急な坂道に挟まれた、谷底の「底」にあり、川のすぐ上にある感じの作りなのですが、夜は真っ暗になり、涼しくて、なんともまったりしてしまいます。
 そんな「Cupit BBQ」に、バーカウンターが出来ました!
 飲みに行くには、プネスタナンだと、今まで「Round Bar ラウンド・バー」という、こじゃれたちょっと高めのバーしか無かったのですが、ついに、家の近所に気軽に行けるバーが登場。

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 この日は、スペアリブを食べながらビールをがばがば飲み、そのあとにラム大好きな私はモヒートを、旦那様が「Bar」を経営しらっしゃる、一緒に行ったお客様はカイピリーニャを、それぞれ2杯ずつ。
 美味しゅうございました(^^)
 
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Cupit BBQのオーナー夫人の、「イブ・リオ」と、お酒担当、英語がぺらぺらな「リオ」。気さくな彼らの人柄に惚れて、通うお客さんも多いという事です。

 プネスタナンに来たら、そして、ちょっと飲みたいな、って時は、ぜひ行ってみて下さい、チュピット・バーベキュー。
おススメですよ~!

Sebuah cerita dongeng. 夢と思い出と河童の霊水。


 バリに、スピリチュアルなものを求めてくる人は多いと思う。
今、バリを検索するキーワードで、西洋人、日本人を問わず、最も多いのは、ヒーリング、スピリチュアル、ヨガ、マッサージ、などではないだろうか。

 バリ島は実際に、バリアンやドゥクンといった、目に見えない世界と行き来して、治療や儀式をとり行う人たちが活躍している場所である。
 五感以外の感覚、第六感、というようなものが発達している人や、敏感な人が、多くバリに惹かれて来る。

 私自身は、全くの凡人・俗人であるが、バリに住みだしてから、「目に見えない世界」の存在を感じることが多い。
信じる信じないの問題ではなく、我々人間以外の世界の存在感が強くて、はっきりと「ある」と感じられるのだ。もちろんそこには、動物や植物の世界を含む。

 バリに住んでいると、心身の不調を感じても、医者に行こう、とあまり思わない。
医療面での技術的不安、が大きい理由である。
 そうなると、自力でなんとかするしかない。多くのバリ人達のように。
ひたすらじっと寝て過ごす。薬草を煎じて飲む。オイルでマッサージなどをする。バリアンに行く。などなど。

 私もバリに住むようになってからヨガを始め、メディテーションなども時々し、子供のために出来る範囲で自然療法的なものを勉強し、徐々にそういうものに興味を持つようになった。 
 稀に、身近な人からいい、と聞いたバリアンやお坊さんやドゥクンに行く事も有る。
 ただ、元々懐疑的な性格なので、全面的に何かに(誰かに)身を委ねる、ということは出来ない。最終的には自分で何とかするしかない、と思っている。

 トラブルが有った時、何が問題なのか、自分でよく分かっていないことが多く、なんとなく良くなったし、なんとなく治ったし、で済ませて、また同じことを繰り返したりする。
 それこそが人間なのだ、とも思うが、いいかげんこの「パターン」から抜け出したいな、という気もする。

 この10年以上、ヨガやら、なんとかヒーリングやら、マッサージやら、占いやらで、何度か同じ問題を指摘された事があり、もうそろそろ、そこに正面から取り組む、というか、立ち向かうべきなんじゃないか、という気がしている。

 だがしかし、何に取り組めばいいのかが分からない(笑)

 自分自身の身体、そして心の声を、耳を澄まして聞くしかないのである。
そのために、色んなところからアプローチを試みている最中で、この、ひとつのおとぎ話もその一環である。
誰に読ませるわけでもなく、赴くままに書いているので、駄文・愚文、お許しください。

 **********

 バリに住みだしてから、あれはいつ頃からか、昔住んでいた家の夢を見る。
はっきりとした夢ではない。途中でその家も全く違う建物に変わったり、曖昧な夢だ。
 でも、結構な頻度で、朝目覚めて、
 「あ、また前に住んでたとこの夢見たな」と思う。

 時々、村の道をてくてく歩いていたり。時に1人で、時に誰かと。

 幼稚園から高校を卒業するまで、田舎の小さい集落に、古い一軒家を借りて住んでいた。
両親が、都会の生活に疲れて「田舎暮らし」に憧れたクチ、だったのか、単に仕事の関係か。
私の喘息が酷かったから、と聞いた気もする。
 ともかく、その集落での14年間は、私の記憶の奥の方に有り、あまり思い出すことも無かったのだが。
 最近、頻繁に夢に見るので、そーいや、あの家の裏山によく遊びに行ったよな、と、徐々に色々思い出してきた。
 そうなるとあそこは一体、どんな所だったのだろう、と、気になって。
 というのも、家のすぐ裏の山は、日本でも有数の古墳群の一つで、歴史的には何やら謂れの有りそうな場所であった。
 小さな山だったが、登ってすぐのところに、小さな池、公園、お寺、お稲荷さんがあった。
 そして、最近まですっかり忘れていたのだが、小さな滝があって、地元の人がよく水を汲みに来ていた。
 そこでしょっちゅう遊んでいた子供だった私も、しょっちゅう飲んでいた水だ。
 なんていう滝だったっけ?
 名前あったっけ?
気になって調べたら、出てきた。
今でも多くの人が、湧き水を求めて来ているらしい。
「憑夷の滝」
ふういのたき。
そんな大層な名前だった。
憑夷、というのは、中国の神話、「河伯」の、人間だった時の名前。日本には「河童」として伝わった。
言い伝えでは、弘法大師が行脚途中で掘った霊泉だという。

肉体と心を和解させる水
悪霊を追い払う水

だという。
人間、生まれ育った場所の水が一番の薬だという話を聞いたことがあるが、
私も末期の水はここの水を求めるのだろうか。
夏でもヒンヤリした水だったと記憶。
ここの水の味というか匂いは、今思うとお線香の香りだった。

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 この、憑夷の滝のある山は、「大日山」という。
5世紀〜7世紀にかけて作られた、日本一の規模の古墳群の一角を成す山である。
標高141メートルとあるので、子供でも山越え出来る。
私も子供の頃から、山道が好きで、よく父親と家の裏から登って、反対側まで行ったものだ。 

 滝の横のお堂は、「大日堂」という。普段は住職さんも居ない、小さな小さなお堂だ。
だが、管理は行き届いており、年に一度はお祭りがあり、「餅撒き」などが行われ、子供の私にはそれがたまらなく楽しみであった。
 大日如来をご本尊とし、滝の謂れも弘法大師に因んでいる。私が住んでいた場所には弘法大師にちなんだ多くの故事が残っている。
 山の中腹程に、半ば崩れたお寺跡があり、そこが元々の大日堂だったと思われるが、子供心に、怖い半面、ずっと興味があったのを覚えている。実際にはその場所へは2度ほど行っただけである。鍵はかかっていたが、堂の中には、色々安置されていた。

 全くその14年間と被って、一匹の犬を飼っていた。
スピッツの交じった雑種であったが、その犬がよく夜に脱走していた。
一度、一晩中家に戻って来ず、裏の山から鳴き声だけが聞こえており、あの山の中のボロ寺で、お化けに捕まっている飼い犬を想像して非常に怖かったのを覚えている。
 翌日、山に入った猟師さん(その頃は普通に居たのである。)が、綱を切ってくれたとみえ、戻ってきた。多分、木の根っこに綱が巻き付いて、身動き取れなかったのであろう。

 このように、物心ついた頃から思春期まで、大日如来と空海と、霊水と宗教行事に囲まれて過ごしていた私である。
 後々、マントラやインドの神話に興味を持つようになる萌芽は、この頃から芽生えていたのだろうか。

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 私達の遊び場は、主にこの公園であった。
大日堂の下、池の横である。
 当時、今から40年〜30年近く前から、下の画像の様な感じであった。
今なら事件現場になりそうな公園であるが、当時はひとけが無くても、本当に田舎のひとけの無さであって、子供一人で居たとしても、全く怖くはなかった。

 農作業をしている人か、お堂やお稲荷さんの社の手入れをしているおばさんかおじさんが時折居るだけ。

 これも今、唐突に思い出したが、山の入り口に小さな家があって、そう言えばお婆さんが独りで住んでいた。
喋ったことは無かったように思うが、ひっそりと、在るようなないような、でも確かにあの夜は真っ暗になってしまう場所で、お婆さんは独りで住んでいた。

 写真ではビニールシートが見えるが、当時から桜の木が沢山有り、子供の頃、「桜の木の下には死体が埋まっている」という何かで読んだ一文を思い出しては、「大日山には一杯死体が埋まってるんやで〜」と子供同士で他愛なく怖がっていたものだ。
 あそこが古墳であったことを考えると、あれはあながち嘘ではない。

 近所の友だちや、学校の友だち、そして一人で、私はよく公園に行った。一本、登りやすい桜の木があって、「私の木」と勝手に決めて、そこに登っては、遠くに見えるお城を眺めたものだ。

 身体が弱くてしょっちゅう学校を休んでいた私にとって、あの公園は世界の大きな部分を占めていた。
「肉体と心を和解させる水」
を、そうとは知らず飲んでいた私は、長じるにつれて徐々に丈夫になっていった。

 この村に住んでいた14年間は、子供の幸福な時代でもあったが、閉塞感や悲しみや、不安が詰まった14年でもあった。
子供の本能的な部分で、そういうネガティブなものをシャットアウトすべく、山で遊んだり、家の前の田圃の蓮華畑で、蓮華草でベッドを作って遊んだり、歩いていける限りの小さい冒険したり。そして、そういう楽しかった事しか覚えていないのだろうと思う。

 村から外に通じる道や、小学校への通学路、勿論、今行ってもそらで行けるであろうが、何故か夢の中では曖昧に入り組んでいて、何処かへ向かっているのに何処にも通じていない。
 家にしたって、
「あれ?こんなとこに階段あったっけ?(当時住んでいた家は平屋の日本家屋)、こんな部屋あったっけ?」
と、どんどん変容していく。自分の家なのに。
 そもそも、何故、あまりよく覚えていないあの頃の事を、よく夢に見るのだろう。

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 こんな、今では子供一人で絶対に行かせないであろう、人気のない、山の中の小さな公園。錆びたブランコ。
この写真がいつ撮られたか知らないが、幼かった私が乗っていたブランコに間違いない。

 山は秘密基地だった。友人や一人で、そういった秘密の場所を沢山持っていて、遊び疲れたら、滝のお水を飲んで、顔を洗った。
 一人っ子だったので、家でも家族や友人が居る時以外、常に一人であったが、それでもさらに一人になりたい時は、公園の桜の木によく登ったものだ。

 と、つらつら書いているが、実際は今しがた、思い出した事ばかりである。
こんなに、子供時代の事を忘れているか?というくらい、あまりこの村に住んでいた時の事を覚えていないのだ。
 思い出せるのだから、忘れきっている、というのではないのだが、つまり、私はあまり思い出したくないのかな。

 もしかしたら、この頃の、人格形成期の頃に、鍵が有るのかな。

 この時に出来た、ネガティブな要素が、現在起こる、様々な病気やトラブルに何らかの影響を与えているのかな。

 親との関係、親戚との関係、学校のお友達との関係、近所の子供達との関係。良かったにしろ悪かったにしろ、みんな多かれ少なかれ経てきて、それがあって今現在の自分がある。
 あるいは、
 この牧歌的な、日本昔話的な田舎の村の暮らしは、子供には楽しかったが、母親にとってはそうではなかったようで、この場所が私には鬼門だ、的な事を、母親がよく言っていたのだが、その事が全体的に、子供だった私に重くのしかかっていたのか。
 母親の容体で子供が左右されるというのは、それはもちろん影響が大きいであろう。
私にとって母親は裏山と同じく世界の大半を占めていたので、子供時代の不安感と言うのは、自分のことと母親の事、そこに由来していた、というのは、今でも思う。
 しかし、母の問題=父の問題、である。

 それとも、もっと前か。もっと遡ってなにか見れるのかな。

 私にとって「前世」とは、あるとしたら、見知らぬ誰かではなくご先祖様の誰か、である。その辺は、必ず子孫の誰かに生まれ変わる、というバリ人の影響を受けているのだが。
 過去生のカルマがどうのこうの、という話になるとサッパリ訳が分からないが、ご先祖というのは興味が有る。

 私の名字は、居ないことはないが、少々珍しい名字で、だから先祖を辿りやすい。調べたところ、瀬戸内海で水運業を営んでいた一族で、「村上水軍」と切っても切れない、ようは「海賊」の一門であったらしい。
同じように、自分のルーツを訪ねておられる、会ったことのない同じ名字の一門の方のブログで知った、北原宋積と言う人の詩に感銘を受ける。

人間ピラミッド
   
   気がつくと
   父を 母を ふんでいた
   
   父も母も それぞれ
   祖父を 祖母を ふんでいた

   祖父母もまた
   そのふた親をふみ
   むかしのひとびとをふみ
         
   いのちの過去から未来へと
   時のながれに きずかれていく・・・  
   人間ピラミッド

   そびえたつ そのいただきに
   ぼくは たち
   まだいない 子に 孫に
   未来のいのちに ふまれていた

 生きて行くという事は、まさにこの詩の通りのことで、その種が時々、元々の地ではなく、ぴょんと遠くへ飛んでいく事も有り、海賊の血筋を汲む私が、黒潮の流れに乗り、はるかかなたのバリ島に流れ着き、瀬戸内の血を遠くバリ島で細く繋いでいく、と考えるのは、なんとも愉快である。今は、私がピラミッドの頂点ではなく、私の子供達が人間ピラミッドの頂点である。

 もう少し詳しく調べて行くと、ご先祖の事は驚くほどくっきりと分かってきた。うちの曾祖父が、どの時点で先祖の地を飛び出したのかは定かでないが、現在、一族の元々の土地で、同じ名字の方が、「熊野神社」を管理しておられる。

熊野神社
応永9年(1402)鳴滝山城の守神として鎮座されたと伝えられ、熊野三社神のほか、伊邪那美命が祀られている。
また同社に、僧覚峰が筑紫から紀州大峰山に神命をおび赴く途次、この沖合で船が動かなくなり、神のお告げをうけ、山上に勧請したといわれている。 


鳴滝城跡
元享年中(1321-1323)○○次政が築城、広義、広俊、恒躬と
4代にわたって受け継がれたが、100年後の応永30年(1423)、美の郷に
大平山城を構える、木須経兼の奇襲にあい、恒躬は久山田の守武谷で戦死し、
夫人鈴御前(木ノ庄木梨杉原氏の娘)も栗原門田まで逃げたが殺され、
その子明光は幸い落ちのび、因島の村上氏を頼って城の奪回を図るが、
◯◯◯らす、三原市仏通寺に◯つて◯◯と号した。
しかし、群山豪族の拠点となった山◯の離合集散は激しく、間もなく
○○一族は鳴滝山に住みついた。

 小さいながらも城主であり、海賊であり、そして離散の運命を辿った一族の、その端っこに私は居て、南の小さな島に住んでいる。

 面白いなとは思うが、やはりそれと今の私の生活になんらかの関係があるようには思えない。
ただ、「名字」は父方のものであり、バリと同じく、日本でも「ご先祖様」とは父方の方を指す。

果たして
原因を求めるべきだろうか?

過去をどこまでもさかのぼって、そこに因子を探し出して、

 それで?

そこでいつも立ち止まってしまう。

だからどうなるのか?

「そこを解放してあげると、これからの人生、うまくいきますよ」
というのは、ヒーリングのセラピーの際によく言われる言葉だ。

 しかし、痛みを抱えたまま、人はどんどん成長して、痛みに慣れて、そしてそのまま歩いて行く。今までそれでやってきたのだ。今さらその痛みを取ったところで、どうなんだ?

 というのが今までの私だった。

 今でもその考えは変わっていない。色々有ったが、こうして死なずにバリ島で、そこそこ元気で暮らしている。それでいいんじゃないのか、と。

 ただ、心の奥底で、何かがチクチクと、覚醒を促すというか、なんというか、そういう感覚がずっとある。

 先日、久しぶりに、本当に満足のいくマッサージをしてくれたセラピストに出会えたのだが、その時に奥様が、「カードをひいてみませんか」と言ってくれ、そして自分が自分で引いたカードが、「決心する」というカードであった。

 決断を下すだけ、そのあとは色んな流れがサポートしてくれるでしょう。

 決断しなきゃいけないんだろうなぁ、ということは、確かにあって、ぼんやりと見えている。そこから目を逸らしている、といえば言えなくもない。

 こういう風に、夢に出てくるからと、過去を振り返って、先延ばしにしているだけなのかもしれない。


 でも、決断する前に、もう一度、「大日山」に行かねばならない。そして、おとぎ話の先に何があるのか、行って確認したい、と思うのだ。
 私が夢で見る道は、本当にあの通りなのか。グーグルで見る限り、住んでいた家はもう、跡形もなかった。
そして、あの、
「肉体と心を和解させる水」をもう一度飲まなければ、と思う。



2015年6月、7月のディスカウント・セール♪

 2015年も、もう5月。
 子供の日も過ぎて、バリ島では先日2日の「サラスワティ」の日を皮切りに、7月15日のガルンガンに向けて、行事的に忙しい時期がやってきました。

 さて、今日は、ウェブサイト
PRASANTI
でご紹介したとおり、6月と7月、一部屋だけディスカウントセールを設定いたします。
近々、日本人観光客のVOA(Visa On Arrival)の無料化が決定になるようですし、長期でお部屋を探している方向けに、ご紹介して頂けたら幸いです。

6月1日6月27日まで、28泊:ROOM.NO.4(一番人気のあるお部屋です♪)を4,500,000ルピアで。
7月1日~7月31日まで、31泊一か月:ROOM.NO.3のお部屋を5,000,000ルピアで、ご提供します。


いずれも朝食はつきませんが、お部屋のクリーニングは含まれております。

これから、乾季に向けていいシーズンです。ぜひバリ島、ウブドのプネスタナン村での、村の暮らしを体感しに来て下さいませ♪


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