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ぷらさん亭

Author:ぷらさん亭
バリ島で娘一人、息子一人、旦那とその両親+犬、猫、庭のジャングルにいる様々な動植物と一緒に暮らしています。
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NO.2 Nepiの夜、満天の星の下で~瞑想にかえて~

 ニュピの夜。

 天気が良く、満天の星空が見れた。

 午後8時ごろに、一人で家寺の芝生の上に寝っ転がって星空観賞。

 まだみんな起きていて、台所に電気を点けてご飯食べたりしているのだろう、各家庭の団欒の声や、生活の気配が漏れ聞こえてくる。真っ暗だがぽつぽつと遠慮がちに電気を点けているところも多い。

 昔は、ニュピはほんとに真っ暗だった。明かりの漏れも厳しく言われていたような気がする。今は、病人や年寄りが夜中にトイレに行くのに転倒すると怖いので、ニュピでも一つだけ電気を点けていたりするところが増えた。

 オリオン座がほとんど天中に。しばらくすると南へ若干動いているのに気づく。

 星々を見ていると、不思議な気分になる。

 子供のころ、SFアニメーションが花盛りで、私も小説やコミックや映画で、SF物にハマっていた。割と真剣に、宇宙飛行士になりたい、と思っていたような気がする。

 プラネタリウムも大好きで、今思えば、あの吸い込まれるような感じ、上昇していくような心地、恍惚と自己の内部にどこまでも入っていく感じ、というのは、シャバーサナで深く入った時や、滅多にないがメディテーションでスコーンと入った時のような感じだったな。

 しかし、すごい数の星である。無限。

 広大な漆黒の中に、散らばって冷たい光を放っている星々の距離はまたとてつもなく遠く。

 それらを見ていると、唐突に、この宇宙空間の絶対的な孤独というものを感じた。あの宇宙の中にぽんと一人で放り出されたら、どんなに孤独だろう。
 
 死ぬ時というのは、宇宙にぽんと還っていくような感じではないかと想像する。

 現在、1000個ほどその存在が確認されている、ブラックホールにもし生身の体のままで入っていったら。

 ブラックホールの中心部をぐるぐる回っているあたりで、時空のひずみにより、自分の後頭部が自分の目で見えたりするそうだ。
 身体が麺のように細長く伸びていき、最終的には原子・量子レベルに分解してしまう。ブラックホールの中心部、特異点に到達することは出来ない。

 ブラックホール内に吸い込まれている時点では、頭の部分と足の部分は、時間の流れが違うという。巨大な質量を持つブラックホールでは、時間の流れがとてつもなく長くなる。時間も伸びるので、果てしなくゆっくりとブラックホールに落ちていく。

 ブラックホールの外の世界では、何百年、何万年もの時が過ぎているのに、ブラックホール内に居る自分は、ゆっくりゆっくりとブックホールに落ち続ける。ブラックホールの外では死んでいるのに、ブラックホールの中ではまだ存在する。

 死んでいるのに生きている。

 もし、まだ意識を保てていたとしてら、どういう状態であろう。

 まず、壮絶な孤独の中に居ることを認識するのではないだろうか。

 「だから」私たちは生身の、肉体の中に入りに来るのだろう。肉体という時間的制限の中に、五感を持って人生を生きる、というのは、のどから手が出るほどの「望み」ではないのか。
 始まりもなく終わりもない、という時間軸の中にいる者にとっては、「生身の体で一刹那生きる」ことというのは、どんなに肉体的苦痛、精神的苦痛、を伴ったとしても、それを凌駕する、とてつもない快感なのではないか。

 星空を見上げていて、私は悟る。

 この地球上以外に、「生命」があふれている美しい場所は無いと。このように美しくカラフルないのちの星は、数えきれない星々の中でも、地球以外にはないのだ。

 生まれてきて死んでまた生まれる、という、時間の枠の中で起承転結を繰り返す地球上の生物。この完璧な存在はこの惑星以外にはなく、私たちはその軌跡の星に、「人間」として生まれてきた。選んできた、と言ってもいいだろう。

 どのような人生を送り、どのような死に方をするにせよ、私たちは自らここに来て、他でもない自分自身の選択によって日々の生活を営んでいる。

 そのことを自覚せよ。と、私の中に居る何かが促す。

 本当にやるべきことと本当にやりたいこと、それらは最初から一致しているのだから、思い出すだけ、自覚するだけだ。

 なのに、なんと私たちはそれから遠く隔たってしまっているのだろう。いつの間にこんなに隔たってしまうのか。

 星を見ていると、気が付くと薄白くもやがかかったようになって、星が見えない時がある。雲が出てきたのだな、と気づくそばからもう風に流されてまた宙が晴れてくる。

 山もそうだが、星空も、ずっとそこにある。私たち以前から在る。時々曇って見えないが、そこにずっと在り、すぐに雲が切れて姿を現す。

 このことは私たちに、物事の本質に対する姿勢を教えてくれる。本質はずっとそこに在る。雲がかかってるかかかってないかだけである。じっと見ていればクリアにそこに在るのである。「無い」のではなく「見えない」だけである。

 じっと眺めていると、星が段々と動いていく。数十分も経つと、かなりずれている。東から西へ。
実際は、私たちが動いているのである。地球の上に乗っている私たちが、4分に1度ずつ、西から東へ動いているのだ。

 結構な速度で星が傾いていくような気がするが、自分たちが同じ速度で自転しているという自覚は無い。

 この、人間の「自覚のなさ」

 人間以外の動物はきっと、自分が4分に1度の速度で自転する地球の上に乗っている、とは自覚せずに生きているだろう。人間も、そんなことを意識せず毎日暮らしている。

 しかし、人間だけが「地球は自転している」という事実を知識として持てるのである。膨大な知識を持ち、個体としては離れていても、知識を共有しあえる存在は、今のところ地球上に生きている生物では人間だけだ。

 それは一体何のためか。

 全てを「よりよくする」ためだけである。

 他者を貶め、攻撃し、苦しめ、地球を破壊するために、では断じてない。

 地球上の生物の中で3番目に大きな脳化指数を持ち、言語というコミュニケーション能力、共有手段を持つ我々は、他種族の生物からは抜きんでて知性のある種として今現在地球上に存在している。
 
 それを自覚して本来駆使するべきところで駆使しないと、何かに取って代わられるか、地球もろとも破滅してしまうだろう。

 その時は、自分が死んでから後、ではなく、すぐ間近に迫っているかもしれない。



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